この世は戦いの場として創造された3


われわれにはお金が必要である。

神の国を拡大するためにはお金は不可欠である。

しかし、お金を直に求めると失敗する。

神に求めるのである。

そうして神からチャンスを提供される。

ある会員の方は、偶像礼拝の問題で妥協する教団から飛び出して、職を失ったが事業をはじめて、今や以前の職の数倍の額を稼いでおられる。

神に忠実だからこのように祝福されている。

わたしは、悪魔崇拝者が京単位の金額を動かしているという事実に不満である。

あらゆる鉱物資源を手中に収めている。

クリスチャンが眠ったからだ。

クリスチャンが妨害しなかったからだ。

クリスチャンが、「そのお金をこちらに回してください」と祈らなかったからだ。

われわれこそが、京単位の金を動かすべきである。

なぜならば、われわれクリスチャンこそが、正式な世界の支配者だから。

アダムは、山の中腹で神から支配者として任命された。

モーセは、山の中腹で神から十戒を受けた。

弟子たちは、山の中腹でイエスから「山上の垂訓」を受けた。

イスラエル人は、神殿の至聖所(山頂)から聖所(山の中腹)に入った民の代理人である祭司において命令を受けた。

新約時代において、神のイスラエルであるクリスチャンは、自分の体が神殿である。

われわれのてっぺんである頭を支配しておられるのは聖霊である。

体の中において、聖霊が、われわれの霊に命令される。

その命令にしたがって、われわれは、世界を統治する。

われわれは、正式に任命された王であり、世界の支配者として、万物を所有している。


私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。(ローマ8・32)

われわれには、すべてのものが与えられている。

それは、法的である。

法的に所有している、つまり、所有権はわれわれにある。

しかし、実際は、悪魔の弟子たちが所有している。

われわれは、権利を行使して、彼らから所有物を取り返すべきである。

しかし、武力ではだめである。

われわれの武器は、御言葉である。

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。(ヘブル4・12)

真理を示すことによって、所有は拡大する。

これと比べて、武力などまったく無力である。

「神のことばは生きていて、力があ」る。

神のことばを伝えることによって、徐々に実際の所有権はわれわれの手に移る。

われわれは、宣教を通じて、ますます豊かになる。

最終的には、世界を経済的に動かすことができるほどの富を獲得すべきである。

そのために子弟には、聖書の教育が必要である。

世俗の世界観を否定できるほどの強力な理論武装をしなければならない。

どうかわれわれにあらゆる力が与えられますように。

 

 

2015年8月21日



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