発生反復説はとうの昔に否定されている。


ヒトの初期の胎児に現われる鰓裂(鰓穴)は、祖先が魚類だった名残の証拠であると言われてきたが、これは、正確には弓状の襞と溝にすぎない。鰓としての機能もない。魚を含めてあらゆる脊椎動物の幼生に存在し、魚の場合、成長につれてここに開孔ができ、鰓になるだけのもの。

最近の専門家は誤解を避けるために、咽頭弓または咽頭溝と呼ぶようになっている。

「医学生用の教本では『鰓裂』の話を一切なくし、その存在を否定している…ヒトの胎児に鰓はないので、『咽頭弓』という用語を使うべきである」(J・ラングマン『医用胎生学』1975年) 

ヒトの胎児には「尾」に似たものが現われるが、これは昔から進化の証拠とされてきたが、それは本当の尾ではなく、脊柱の先端部分にすぎない。胎児の成長の初期に発達するため突き出るが、ほかの部分が成長してくると最後には尾骨(尾てい骨)に変化する。

このような発生反復説は、もうすでに長い間学界から葬り去られ、議論の対象ともならなくなっていたようである。進化論学者自身が次のように述べている。

「現生種の幼生段階に祖先型を探すヘッケルの計画が失敗したのは…すべてこの生物発生則が基本的に誤りだからだ。19世紀末には、この計画はもうすっかり軽蔑の的になっていた…。」(S・J・グールド『異時性』1992年)
 
「生物発生則は完全に死んだ。1950年代にはついに生物学教本から一掃された。真剣な理論的探求の問題としては、1920年代にはすでに消滅していたのだが。」(K・S・トムソン『個体発生と系統発生再論』1988年)
 
発生反復説は、19世紀末には軽蔑の対象となり、1920年代にすでに学問の真剣な研究課題としてはすでに死んでいた。


「「個体発生は形態発生を繰り返す」この説は長い間タブー視されて来たが近年再評価されつつある。受精後6〜7週のころ、胎児のそばに風船のように見える袋が、卵生のなごりとも言える卵黄嚢である。卵黄嚢は痕跡的な器官であり、ヒトはその本来の働きではなく造血組織として働いている。そして受精後11週ごろには退化していく。英国放送局「BBC」の映像により、人間の目は最初は顔の端にあること、そして上唇、あご、口蓋が魚のエラに似た状態から始まることが分かり、人間は魚から進化してきたのだろうとBBCは報じている。まあ生物学も神学と似たようなもので神学論争にきりがない。進化論者、創造論者どちらにも言い分があることが分かった。」

そんなちんけな理屈で「個体発生は形態発生を繰り返す」説が近年再評価されるするわけがないよね。

いいかね、「卵黄嚢という名称であるが、(魚類などと違い)嚢内に卵黄はなく、液が入っている[3]。臍小胞 (umbilical vesicle) とも呼ばれる」(Wikipedia)。

人間の場合、卵黄が入っていない。こんなものをどうして卵黄嚢と名づけるの?もともと卵黄が入っていたはずだ、という思い込みでつけた名前?進化があったと印象付けるため?汚い手を使うね、進化論者は。

このいわゆる卵黄嚢には、造血組織、栄養を供給する循環器官としての機能があるわけだから、痕跡器官ではない。痕跡器官とは、退化によって本来の用をなさなくなった器官が、わずかに形だけがそれと分かるように残っているものをさすので。

卵黄が入っていない卵黄嚢。しかもちゃんとした機能がある。これでどうして「個体発生は形態発生を繰り返す」説が復活できるのか?

進化論者創造論者の両方に言い分があるとか、進化論にはないよ。

突然変異によって中枢遺伝子の塩基配列が偶然に形質遺伝子にあわせて変化する可能性はゼロなんでね。これを解決しないと進化は否定される。こちらが提示している問題は、誰も解決できない。進化論に致命傷を与える爆弾なの。あきらめろや。いいかげん。

 

 

2016年12月22日



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