船長の座をイエス・キリストに譲ってほしい
1.
人生は航海である。
船長は、イエス・キリストである。
自分が船長になって、航路を決めようとすると、変な方向に向かう。
自分も自分のグループも、その間違った決断によって苦しめられる。
わざわざ台風の中に突入したり。
しかし、イエスに委ねるならば、正しい方向に向かう。
私は、大学受験である大学に目標を絞った。
しかし、失敗した。
当初は「祈りってきかれない」と思った。
滑り止めで入った大学も学部も自分の成績よりもはるかに低いところであった。
人の目を恐れていたころだったので、すごく嫌だった。
しかし神の計画は素晴らしかった。
大学では、素晴らしい人々と出会った。
毎日が聖霊の奇跡の連続であった。
福音派の信仰であった自分がカルヴァン主義のクリスチャンと出会って、目が開かれた。
神学や教理だけではなく、リーダーシップなど、いろいろなことを学んだ。
就職後、ロシアに行って生活すると、自分がロシア人と非常に相性がいいということがわかった。
あまりやりたくない言語だと思っていたが、ロシア語をやってよかったと思った。
やっぱり神は、自分にとって一番よい道を選択してくださったのだ。
「祈りはきかれる」というのは、「自分の願望がそのまま成就する」ということではなく「神がふさわしい道に進ませてくださる」という意味である。
非常に遠くの未来まで見通しておられる神が、自分に最適な道を選択させてくださる。
だから、まず祈るときに、自分の願いから始めるのではなく、神の願いから始めるべきである。
1.御名があがめられますように。
2.御国が来ますように。
3.御心が天で行われるように地上でも行われますように。
と。
このようにすることによって、あくまでも船長はイエス・キリストであると認めることである。
神の願望を第一にし、自分の人生の主権者を認めるべきだ。
成長すると、自分の考え方や感じ方が、次第に聖書的になっていく。
つまり、神中心でものを見て、感じることができるようになっていく。
そうすれば、神は御力を現してくださるようになる。
世俗的な見栄とか体裁、世間体、願望などが心の中心を占めているならば、まだまだ「用いられる」状態にはない。
本当のクリスチャンになれば、真っ先に「神の国」について考えるはずである。
なぜならば、神の国の発展こそが、神の第一の関心事だからだ。
神は、神の国を地上において発展させるためにアダムを創造された。
だから、神の国の発展に焦点が合っていないキリスト教は、偽物なのである。
「聖書を読んでも暗くなるだけです」「神学をやるとダメになります」などという牧師を信用してはならない。
彼らはあなたを別の方向に導いて、人生を台無しにしようとしている。
本当の指導者は、聖書の知識、神学の知識を蓄えることをまず第一に勧めるはずだ。
2.
心の王座にイエス・キリストがいらっしゃるならば、「イエス・キリストはどのように考えておられるのか」に意識を集中するはずだ。
できるだけ「俺はこう思う」という意識を捨てるはずだ。
となれば、その人は、必ず「正しい教理」を求めるはずである。
正しい「聖書的な教え」を求めて、金に糸目をつけないはずである。
正しい教えを学んだら、自分が考えていた未熟な教えを捨てるはずだ。
心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。(箴言3・5)
2015年6月7日
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