(1)
エデンの園から水が流れていた。
それは、祝福を象徴する。
その水は4本の川となって地を潤した。
4という数字は、世界を象徴する。
聖書では、世界を四隅を持つ家として考えている。
つまり、エデンの園とは、世界を祝福する源となる場所であった。
イエスは、「わたしを信じる者は、腹から生ける水の川が流れる」と言われた。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。(ヨハネ7・38)
イエスを信じる人々、つまり、クリスチャンは、世界を祝福する源であるエデンの園となる、という意味だ。
よく「癒し系」と言われるが、本当の癒し系とはクリスチャンである。
それは、性格がいいとか、人当たりがいいということではなく、「心の奥底から生ける水の川が流れ出る」からである。
人々が、神の聖霊に触れるから「癒す」のだ。
クリスチャンがいなければ、この世界は砂漠である。
クリスチャンの存在はオアシスだ。
(2)
「心の奥底」の原語コイリアの主要な意味は「腹」である。
ギリシャ語辞典では、「腹全体、上腹部(つまり、胃)と下腹部が区別される全空洞」とあるが、「胎児が宿り、育つ場所」ともある。
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祝福の水が出る場所は、人体では腹である。
ということは、おそらく、人体で、頭部は神を象徴し、腹部は人間を象徴するのだろう。
頭から腹部に祝福が流れて、そこから世界に広がる。
だから胎児が誕生において世界に出てくることは、祝福なのだ。
クリスチャンは、子供を産むことによって、世界を祝福していることになる。
だから、世界にとって祝福にならないような子供はわれわれにとって失敗なのだ。
教育が間違うと、祝福であるはずの子供が世界にとって呪いになる。
ニーチェとかユングは牧師の子、デューイもクリスチャンホームの子弟だ。
霊的な知識があるから、クリスチャンの子弟は、信仰を失うとものすごい悪影響を与える大人になる。
「生めよ、増えよ、地を満たせ、地を従えよ」という命令は、「子供は世界にとって祝福である」ということを意味している。
(3)
神殿として作られているクリスチャンにとって心は中心である。
心は、至聖所であり、至聖所は神が世界を統治される王座であった。
神は、そこから指令が発せられた。
モーセとアロンは、幕屋の入り口のところでひれ伏して神の指示を待った。
われわれの体は、聖霊の宮であり、もはや自分のものではない。
あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。(1コリント6・19)
われわれの肉体は、他人、つまり神のものとなり、神の司令塔となった。
われわれの肉体の至聖所にあたる部分である心から、神が世界を支配しておられる。
至聖所には契約の箱があり、その中には二枚の契約の板があった。
十戒である。
われわれの心の中には十戒がある。
それに基づいて神は世界を支配される。
だから、われわれが十戒に基づいて活動すればするほど支配は広がる。
(3)
新しい石造りの神殿は必要ない。
クリスチャンが神殿である。
再臨のキリストが石造りの神殿から支配する必要はない。
なぜならば、クリスチャンの肉体という神殿にすでに神が住んでおられ、支配しているから。
再臨によってキリストが世界に指令を出して強制的に統治するのではなく、クリスチャンのうちに住む聖霊がクリスチャンの口を通じて御言葉を伝え、それによって人々が説得され、人々が感謝しながら弟子化が進むこと。
これだけが本当の「神の支配の拡大の方法」である。
クリスチャンは、エデンの園であり、幕屋であり、神殿なのである。
そして、クリスチャンの肉体こそが、世界の中心なのだ。