堕落した悪魔崇拝者の資産はクリスチャンに移譲されるべきである2
1.
「安息日」「安息年」「ヨベルの年」「割り当て地」などは、旧約聖書の法律である。
これを新約時代にどのように適用したらよいのだろうか。
目的は、クリスチャン(契約の民)が世界支配を維持することにある。
各国の法律において「クリスチャンだけが支配者である」との原則が徹底されなければならない。
「え〜?ノンクリスチャンには主権は与えられないのか」という疑問が起きるかもしれないが、「そうです」と答える。
なぜならば、それが聖書の教える正しい世界だからだ。
人間が創造された目的は「神の御心にしたがって地球を統治する」ということにあった。
人間は、神の被造物であり、あくまでも主権者は神である。
神が創造された世界を統治するように人間には他の被造物にはない能力が与えられている。
言語能力、計算能力、論理的思考力、応用力などである。
それゆえ、「神の御心にしたがって統治する」意志のない人々には支配権は与えられていない。
ノンクリスチャンの王や政治家は、それゆえ「不適格者」である。
彼らは退くべきである。
しかし、われわれは、暴力的に彼らを追い出してはならない。
聖書の方法は、あくまでも「合意に基づく」それである。
すなわち、伝道と教育を通じて、徐々に「聖書の世界観」を浸透させ、正しい統治とは何かについて納得させなければならない。
これは、聖霊の働きであって、人間の説得によるのではない。
もちろん説得の努力はすべきだが、あくまでも納得させるのは御霊である。
御霊が働けば、人々は新生・回心し、必ず納得する。
これは、超自然的な神の力による運動であり、人間のなすべきことは、「わかりやすく愛情をもって伝える」ことである。
神はご自身の計画にしたがって、しかるべき時に人々の心を変えられる。
そうすれば、人々は、聖書的な統治体制を希望するようになる。
国の憲法が変わり、法律が変わる。
そして、クリスチャンだけに選挙権が与えられ、体制の維持のための様々な法律が制定される。
「クリスチャンの間での利息の禁止」など、聖書律法に記されている様々な法律は、「クリスチャンによる統治体制の恒久的維持のため」である。
ちなみに、ここで言う「クリスチャン」とは「聖書的クリスチャン」すなわち「聖書を神の無誤無謬の言葉であると信じ、聖書を最高権威として問答無用に信じ、イエス・キリストを救い主、最高権力者として信じ、行動する人々」である。
実質的に悪魔教であるローマ・カトリックや他のリベラル、ディスペンセーショナリストなど「聖書を最高権威として認めない」自称クリスチャンを含まない。
「ヨベルの年」などの規定は、このコンテキストにしたがって理解されるべきである。
聖書律法は、古代ユダヤ人に与えられた法律であるが、しかし、新約時代においても、「神の御心を示すもの」として受け取り、様々な時代や地域に適用できるものとして、状況に応じて規則化しなければならない。
「ヨベルの年」も、農耕に従事していた古代ユダヤ人のための法律であるが、現代人にも適用できる。
それは、「クリスチャンが賃金奴隷にならず、失敗しても、再度チャレンジを与えられ、支配者にふさわしい財力と自由を得る」ための規定である。
「割り当て地」は、ヨシュアとカレブに率いられてカナンの地に入ったイスラエルの民に与えられた土地を指すが、現代社会に適用できるとすれば、「クリスチャンになったときに、永続的財産として与えられる土地」と適用できるかもしれない。
その形態はいろいろあるだろうが、中心的意味は「土地を所有することは支配の基本である」ということにある。
クリスチャンが支配者となるためには、経済活動の基本となる土地所有が認められるべきであり、失敗して事業が倒産して土地を失ったとしても、安息年やヨベルの年に戻ってくる法制度が必要である。
その他、クリスチャンが無産者に落ちないための救済制度を設けるべきである。
具体的な方法については、クリスチャンの法律や経済の専門家がその国や地域、時代に合わせて考えるべきである。
2.
聖書的支配体制の最大の敵は、「中立の原理」である。
すなわち、「政教分離」に代表される「政治や経済は宗教的に中立であるべきだ」との思想である。
宗教的に中立なものなど、この世界には存在できない。
この世界が「創造された世界」である以上、あらゆるものは、神の法の支配下にある。
「神の法の支配下にないものがある」ということは、すなわち、「この世界は神によって創造されなかった」ということに等しい。
だから、人間にとって中立はありえない。
中立の原理を導入しようとしているのはサタンである。
「神は本当にそう言われたのですか。大丈夫です。その実を食べても死にません」とサタンはエバにささやいた。
この言葉は、「神の法の範囲外にあるものが存在します」と同義である。
政治や経済は、神の法の範囲外だというクリスチャンがいたら、信仰を捨てているので、教会は除名すべきである。
3.
このように、キリスト教再建主義(もしくは同様の思想)に立つクリスチャン以外のクリスチャンは実質的にクリスチャンではないので、支配層から除外されるべきである。
彼らに選挙権を与え、支配層に入れることは、体制の崩壊を意味する。
会社の存続を否定する者を経営陣に加え、彼に選挙権を与える会社は、バカである。
地球の経営陣に加わってよいのは、地球を創造された神を真に礼拝する者だけである。
「私は会社の繁栄と利益のために尽くします」と誓約しないような社長や専務を擁する会社の運命は倒産である。
外国の利益のために働く国会議員を擁する国は、早晩乗っ取られ、崩壊する。
今の日本の国会に多くの外国勢力のスパイを許容しているのは、国民が極楽とんぼだからである。
「極楽とんぼの有権者は、国を破壊する有害分子である」との認識がないから、われわれのことを「過激派」のように考えるのである。
再建主義者を過激派や宗教原理主義者とみなし、アルカイダと同様のものとして宣伝する人間は、敵の回し者である。
2016年3月15日
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