地上は天国の前味である
1.
主を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる。
その人のたましいは、しあわせの中に住み、その子孫は地を受け継ごう。(詩篇25・12-13)
この個所は、契約の5条件にしたがっている。
1.超越と内在
「主を恐れる人は…」
神との契約を結んだ人は、神を恐れる。すなわち、超越者として無条件服従する。
2.主従関係
「主はその人に選ぶべき道を教えられる。」
原語では、「ヤーウェは、彼が選ぶべき道において彼を教え給う。」
契約の民(クリスチャン)は、ヤーウェの召命に基づいて自分の道を選択する。
だから「彼が選ぶべき道」なのである。
自分が今の仕事(や配偶者等)を選択したのは、神が選ばれたからである。
神がわれわれに「この道に入り、そこを歩きなさい」と言われた。
契約の民はみな、神に任命されて生きている。
3.規範
「彼を教え給う。」
そして、神が選ばれた道を歩みだすと、神はわれわれを教えてくださる。
そのため、間違った選択をしなくてすむ。
われわれの職業や家庭は神が任命された場所であるから、常に導きの中にいる。
4.賞罰
「その人のたましいは、しあわせの中に住み」
契約を守り、規範に従う人の魂は、幸せの中で暮らす。
つまり、契約の民には幸せな生活が約束されている。
5.相続
「その子孫は地を受け継ごう」
契約の民には、世界の支配者となる特権が与えられており、その働きは子々孫々に受け継がれ、祝福される。
中国共産党のように神の法も倫理基準も無視して、ただ力によって突き進むような人間には、相続は与えられない。
2.
聖書において、この地上世界は「頭金」である。
つまり、この地上世界は、来るべき永遠の世界の「前菜」であり、地上世界において契約の民は祝福の「前菜」を受け取り、来るべき永遠の世界において「主菜」を味わう。
それゆえ、契約の民が貧困・迫害・追放・恥辱などを味わっているのは、本来の姿ではない。
本来の姿は、天国の祝福である。すなわち、富と権力と名誉である。
契約に入る(つまり、クリスチャンになる)ということは、天国において得られる富と権力と名誉の「頭金」を地上で受け取るということである。
だから、クリスチャンは妥協すべきではない。
まず契約に対する忠実。その後、祝福である。
この順番を転倒させると、祝福を受けられない。
まず「貧困・迫害・追放・恥辱」である。
その後「富と権力と名誉」。
世間からの称賛と報酬を受けるために、妥協して、教義を曲げたり、非聖書的な教えを伝えたりすれば、天国の前味を味わうことができなくなる。
しかし、教義を曲げず、聖書に忠実に従って伝道するクリスチャンは、試練の後に、必ず祝福される。
クリスチャンにとって祝福された姿こそが「本来の姿」なのである。
だから、地上において、クリスチャンが「富と権力と名誉」を得るのは当然なのである。
中共の指導者が兆単位の資産をため込んでいるのは、「悪魔の騙し」である。
悪魔は自分に従う人間に「一時的に」祝福を与える。
ギャンブルにおける「ビギナーズラック」のようなものである。
最初おいしい思いをさせて、多くの人をだまして引き込み、彼らを通じて悪事をさせ、最後にポイ捨てするのである。
われわれ契約の民は、契約の5条件を守ろう。
すなわち、
(1)神を超越者(及び内在者)として認識し、
(2)神に全的な献身をし、
(3)神の法を守り、
(4)祝福を受け、
(5)地上を支配
すべきである。
契約の民としてこの5条件にしたがうことによって、われわれは、天国における祝福された姿を世界に示すことだろう。
妥協しなければ、祝福されるのである。
2016年9月3日
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