安息日は超民族化した
エドワード・ヘンドリーは、Solving the Mystery of BABYLON THE GREATの「1.The Great Wonder in Heaven」において、ローマ・カトリックが安息日を日曜日に移動したが、間違いであると主張しています。
安息日を特定の日として守るべきという立場は私のそれと異なります。
なぜならば、特定の日を問題にするならば、暦制度そのものを太陰暦に戻す必要がでてくるからです。
食物の場合と同様に、新約聖書における暦に関する律法も、「ものそのものには善悪はない。動機によってものそのものは聖となったり汚れたりする」という原則に従って変化したと思います。つまり、今日でも安息日は土曜日であり、休息や礼拝は土曜日に行うべきだいうヘンドリーの考えは間違いだと思います。
イスラエルに与えられた食物や暦に関する律法は、聖俗の区別を教えるためであり、「諸国民が神の契約に入る」新約時代において、律法は地理的・時代的な制約を取り払われて世界に開かれた「原則」を教えるものに変化していると考えるべきです。
「祭司職が変われば、律法も必ず変わらなければなりません」(ヘブル7・12)。
キリストは「メルキゼデク(非ユダヤ人)の位に等しい祭司」です。
「別の個所で、こうも言われます。『あなたは、とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司である。』」(ヘブル5・6)
旧約時代に、祭司職はレビ族に与えられた務めでしたが、新約時代に、それはキリスト及びクリスチャンに与えられています。
つまり、「レビ族」という縛りが解けたのです。
キリストはユダ族でした。クリスチャンは、民族に関係ありません。
祭司職は「超民族化」したのです。
それゆえ、律法も「超民族化」すべきであり、その意味において安息日の律法も「超民族化」すべきです。
2017年8月10日
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