日本人は英語をやらないとだめ3



ヨハネ3:16の「愛された」はアオリストなので、過去の1回限りの行為であると理解していたのですが、最近、私よりもギリシャ語に詳しいと思われる方から、「アオリストは過去の1回限りの行為とは限らない」と教わりました。本当なのですか?

Wikipediaでは次のようにありました。

"Many authors hold that the aorist tends to be about the past because it is perfective, and perfectives tend to describe completed actions;[11] others that the aorist indicative and to some extent the participle is essentially a mixture of past tense and perfective aspect.[12]"

(アオリストは完了相であり、完了相は完了した行為を記述する傾向があるので、過去を表す向きがあると述べる人は多い。[11] 直接法アオリストや、一部の分詞は、実質的に、過去時制と完了相の混合であるという人もいる。[12])

つまり、本来「具体・特定的一回動作の実現」を示す完了相であるはずのアオリストは過去時制の意味を伴う傾向があるので、必ずしも一回限りの行為を示すものとは言えない、ということではないでしょうか。

ありがとうございます。ヨハネ3:16のエイガペイセンは分詞ではありませんが、直説法ですね。すると、神は世を一度限り愛されたのではなく、今も愛されているというふうに理解することも文法的には可能だということですね?

そうですね。

 

 

2016年4月30日



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