人間の評価は関係ない
世の中では学歴というものが重んじられる。
だから、〇〇大学卒業とか〇〇大学院修了のような肩書きがものを言う。
しかし、内部事情を知る者からすれば、こんなあてにならないものはない。
なぜならば、要するに、実力をつけるのは、自分だからだ。
大学とか大学院などはそれぞれ4年程度のものだ。
4年で学ぶことはたかが知れている。
問題は、その後、どれだけ「問題意識をもって学んだか」である。
4年で学んだことよりも、本を精読するほうがはるかに重要である。
大学に行ったことがある人ならわかるが、大学の授業は非常につまらない。
私の場合、専門のロシア語以外の授業で有意義だったのは、宮川透先生の哲学の授業だけだった。
後は聞いても聞かなくてもいいような類のものだった。
ロシア語の実力は、翻訳と通訳の仕事を通じてつけた。
神学校(Graduate school=大学院)の授業は有意義だった。
しかし、福音派だったので、カルヴァン主義を勉強したのは、大学のクラブ活動と読書だ。
予備校で英語を教えながら、休日に決まった量だけ本を読んだ。
だから、私は大学や大学院の授業にそれほど重要性を感じない。
それから、今の学問の流れが進化論やマルクスやケインズなど、クリスチャンにとって参考にならないものに支配されているので、本当の意味において師と呼べる人はいない。
もちろん、ラッシュドゥーニーやゲイリー・ノースはすぐれた人物だが、しかし、それでも、この領域に関してはまだまだスタート地点に立ったばかりだ。
奇妙なことに思えないだろうか。
世界を神の目を通して見ることが「まだ開始点に立っている」とは!
2000年のキリスト教史とはいったい何だったのか。
2000年たってようやく人類は、神の法の重要性に気付いた。
2000年たってようやく人類は、歴史の意味が地上における神の国の発展にあるということに気付いた。
われわれは、根底から物事を再解釈しはじめている。
ノンクリスチャンが作った体系、ノンクリスチャンが作った学問、ノンクリスチャンが作った社会制度…
こういったものを、神の啓示を通じて構築し直すこと。
そして、神の目から見て正しいシステムを作ること。
こういった巨大かつ有意義な仕事が、まだ歴史上、始まったばかりなのだ!!
すでに千年くらいの歴史があってもよさそうだが、そうではない。
人類はヴァン・ティルの登場を待った。
20世紀になり、ヴァン・ティルが現れるまで、この働きは本格的に開始されなかった。
つまり、問題意識が成熟していなかったのだ。
ノンクリスチャンの側でも、ノンクリスチャンの体系化と、世界の人間教に基づく再解釈が開始されたのが、インマヌエル・カントからである。
さあ、人類の自覚的な神の国建設が始まった!
それは、目が開かれた者しか理解できず、参加できない活動である。
盲目な者は、われわれのこの仕事をあざ笑うであろう。
しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝える。…異邦人にとっては愚かで(ある) (1コリント1・23)
2013年8月4日
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