イエス・キリストと日本2
”石油を止められたのは昭和16年8月、資産凍結がその1週間ほど前のことですね。しかし、日本が南方攻略と対米戦争の方針を決定したのは昭和15年7月27日の大本営政府連絡会議決定によります。マッカラムメモランダムの件は把握していますが、そのメモも日本が南方攻略と対米戦争の方針を決定した後のものですね。また、日本が南部仏印進駐をするに当たっては、米国側から「南部仏印進駐したら経済制裁をする」と事前に警告を受けています。JB355は昭和16年7月下旬に承認されたものなので、これも日本が決定した後のものですね。”
石油・屑鉄を輸出許可適用品目に追加したのが1939年(昭和14年)。依存度80%の品目の禁輸へ向けた措置は、日本にとって大きな脅威です。新聞は経済的に敵対行為であると論じ、政府も正式に抗議しています。制裁を実行されてから動き出すと手遅れになるので、実行前に備えをするのは当然の措置です。
マッコーラムメモは1940年10月7日が日付ですが、その立案をルーズベルトが命じた日は明らかにそれよりも前ですから、同年7月27日の大本営政府連絡会議決定を受けてから作られたかどうかは不明です。
しかし、内容から「積極的ではないアメリカを対独軍戦争に参戦させることを目的とした計画」であることは明らかで、そのきっかけとして「日本にハワイにおける米国の陸空海部隊への攻撃に実質的に誘導すること」が提言されていました。(「」はRobert Stinnett, Day of Deceit: The Truth About FDR and Pearl Harbor)
ルーズベルトには対独戦参加というグランドデザインがあり、その踏み台に日本を利用したことは明らかです。
スティネットは、このメモを「ルーズベルト政権は、政治公約を破ったという国民からの非難を回避しつつ合衆国を欧州戦争に引き入れるために、日本に合衆国を攻撃させるよう密かに挑発の計画を謀議した」という自身の主張を裏付けるものとして提示しています。(Wikipedia―McCollum memo)
”米国側から「南部仏印進駐したら経済制裁をする」と事前に警告を受けています。JB355は昭和16年7月下旬に承認されたものなので、これも日本が決定した後のものですね。”
日本の決定が昭和14年の石油・屑鉄を輸出許可適用品目追加措置の後なので、日本がもともと南進を決めていた証拠にはなりません。
2018年8月31日
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