神はわれわれの必要に応じて人を送られる


1.

予定されている人のところには、伝道者が送られる。

神は、永遠の昔に予定された人を救い出すために、伝道者を派遣される。

それは不思議な導きである。

本来こんな場所に行くことがないのに、その人に福音を伝えるためにあえて行かせられる。

この人と知り合う必然性がないが、どういうわけか知り合うことになり、福音を伝えて救われた。

このような体験がいくつかあるかもしれない。

2.

辛辣なことを言い合ってけんか別れしても、どういうわけかもとのさやに戻る。

このような人は特別である。

互いに影響を受け合うように設定された人。

同じ日本語を話す人々の中でも、自分と親しく関わる人はごくわずかである。

もし神がそのように選んでおられなければ、ほとんどの人は、少しの時間だけかかわるように予定された人である。

何年間もかかわっている人がいるならば、それは神にある役割を与えられて送られてきた人である。

3.

われわれは、みな神の作品である。

善を行うために召され、形作られつつある。


私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。(エペ2・10)

目的の形になるように、神は人を送られ、訓練される。

一時的な訓練のための人もいれば、長期的なそれのための人もいる。

しかし、われわれと関わりを持つ人々は、何らかの形でわれわれを変えるために存在する。

4.

われわれは、神の民である以上、主権は神にある。

神はご自身の望まれるとおりに、われわれを形づくられる。

たとえひどい人と当たったとしても、それは、われわれの成長のためである。

われわれは神に「お任せします」と言おう。

全知全能者に委ねて失敗することはないのだから。

これからも神は、われわれの必要に応じて人を送られるだろう。

 

 

2017年9月11日



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