2度の清めを重視すべきだ


「2度の清め」という考え方は、聖書の基本であり、チルトンが著書Days of Vengenceにおいて強調している。

終末論において、この原理を理解せず、清めが1度しかないと考えることによって、大きな矛盾を抱えることになる。

1.フルプレテリズム

フルプレテリズムは、再臨が紀元70年に起こり、そこにおいて法的だけではなく、実際的にもすべての清めが達成されたと考える。

それゆえ、紀元70年以降は、この世界は新天新地であり、悪魔が完全に滅ぼされたと考えるしかなくなり、現実と大きく乖離してしまう。

このイルミナティが牛耳る世界、イスラム教徒が何十億人もいる世界を完成された世界と見ることはできない。

2.プレ・ミレ

清めは過去に一度も起こらなかった、清めは千年王国が始まる前、再臨の際に一度だけ起きると考える。

だから、今の世界はキリストの王国ではなく、むしろ、サタンの国であるという。

このサタンの国の中で何をやっても無駄であり、クリスチャンの活動はすべて失敗し、最後に反キリストのもとで世界は統一され、大艱難が起き、すべてのクリスチャンの努力は水泡に帰すると考える。

この考えだと、「地の塩」「世の光」としての活動、預言者、王、祭司としてのクリスチャンの存在意味がなくなってしまう。

3.パーシャル・プレテリズム

清めには2度あると考える。それは、法的清めと実際的清めである。

紀元70年に法的に世界は清められた。

コロサイ1・20にあるように、十字架によって、世界は法的にすでに神と和解しており、法的に清められていて、世界はキリストの所有物となり、王国となった。

キリストは「世を征服した」と宣言された。

しかし、この清めでは不十分である。

実際的に清められなければならない。

それは、実際の伝道によってクリスチャンが増えて、その活動を通じて実際に世界が神と和解しなければならない。

世界は時間とともに漸進的に清められ、最後に再臨において完成する。

今の世界は、キリストの王国であり、クリスチャンが戦うことによって、徐々に世界はキリストのものに変わり、主権が打ちたてられていく。

だから、クリスチャンは信仰をもって果敢に悪魔に対して対抗すべきである。

クリスチャンは必ず勝利し、悪魔は必ず負ける。

それが歴史の定めであり、この過程はすべて予定されている。

読者は、いずれが聖書的だと思うだろうか。

もちろん、3だ。

1や2を信じる人は、その思想の果実を刈り取る以外にはない。

間違った終末論は間違った人生を生む。

頑固にならずに真理を受け取ってほしい。

 

 

2013年5月11日



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