アルミニウス主義を選択する人々の基本的な動機


”アルミニウス主義

ワンネス・ペンテコスタリズム、カトリック、モルモン教、これらはすべて、キリスト教の名のもとに活動するが、誰かを救いに導いたことは一度もないし、これからもないだろう。なぜならば、これらは、まことの福音を一度も伝えたことがないからである。そのため、クリスチャンは、アルミニウス主義をひいき目で見てはならない。むしろ、アルミニウス主義を含むこれらの異端の正体を暴露し、証言すべきである。”

――ソニー・ヘルナンデス博士

アルミニウス主義を選択する人々の基本的な動機は、「人間に半分の栄光を残しておきたい」という願望である。

カルヴァン主義は、「徹頭徹尾、神に栄光がある。人間が努力できるのですら神の恵みである」と述べる。

これは、聖書の主張でもある。

したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。(ローマ9・16)

われわれが信仰を持つことができたのは、あらかじめ選ばれていたからである。

永遠の昔に救いに選ばれていたから、イエス・キリストの十字架を自分のためだと信じることができた。

アルミニウス主義は「いや、人間の側の努力がなければ救いは成就しない」と説く。

カルヴァン主義は「その努力すら『させてもらった』のだ」と説く。

本当に謙遜な人は「努力ができるのも恵み」と知っている。

「努力したから今日の自分がある」というような人は、傲慢である。

そのような人は「努力すらできない」自分を知らない。

例えば、野球で優秀な成績を残すことができた人は「これは俺が頑張ったからだ」と誇ってはならない。

誇る人は、落とされる。

努力したくても、気力も体力もない状態にまで落とされるべきである。

受験勉強して有名大学に合格した人は「俺が頑張ったからだ」と言ってはならない。

「神の恵みにより、努力する環境や能力、気力が整い、このように合格できました」と言わなければならない。

少しでも自分に栄光を帰すと、裁かれる。

この世で裁かれて謙遜にさせられ、神を賛美することができるようになれる人はまだいい。

滅びる人は、一生神に感謝しない。

最後まで自信を持ち続ける。

生涯で残した業績や努力を自分の生きる支えにして死期を迎える。

「神に頼る人間は弱い」と言いながら。

人間など、摂氏プラスマイナス30度から40度くらいまでの気温の中でしか生きられない。

地球の軌道がちょっとでもずれたら死滅する。

自分は「この腕一本でやってきた」というのは壮大な勘違いである。

アルミニウス主義者は、最後まで自信を捨てることができない。

プライドが「恵みのみ」を受け入れることを拒んでいる。

しかし、それすらも「選び」なのである。

われわれが「恵みのみ」と思えるようになったのは、神の選びの恵みである。

救いに予定されていない人は、最後まで「恵みのみ」と思えない。

最後まで栄光を捨てられない。

異端者は、異端になるように造られている。

われわれから見れば気の毒としか思えないのだが、どうしようもない。

百万回説得しても無理である。

これが現実である。

 

 

2019年1月26日



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