楽に生きる生き方の秘訣
神学校時代に、個別訪問伝道で救われたNさんの勧めで加藤諦三の本を読み始めた。
合計で10冊以上読んだ。
一言で言うと「個の自立」を勧める考えである。
ノンクリスチャンなので、非聖書的な部分を含むため、批判力のない人に読むことはお勧めしない。
その話の中で興味深いたとえが紹介されていた。
ある東大生が自殺した。
なぜかというと、弟が東大生で自分よりも優れているからと。
人間の間違った特性の一つに「比較」がある。
「あの人はこうだが、自分はこうだ」と。
こういう思考法を当たり前のように身に着けさせられるのが、日本社会である。
私は、偏差値教育を受けてきたので、そのような思考法が染みついている。
これは、天国を地獄に変える思考法である。
東大に入っても、さらにすぐれた人が存在するので、不幸になる。
年齢が進んで健康のありがたみが増すと、「若いころに、なぜ不幸だったのだろう」と思う。
健康に問題がなければ、ハッピーなはずだ。
しかし、苦しみは大きかった。
問題を自分で作り出したからだ。
今から考えると、本当に無駄な苦悩だった。
いろんな「鎖」を自分で作って自分を縛っていた。
偏差値が高い学校の人を羨み、低い人をさげすんだ。
外見が格好いい人をねたんだ。
不細工に生まれたので、それに気づいた時に「人生は終わった」と思った。
勉強よりもロックギターを弾いているほうが時間が長かったが、自分には「ノリ」がない。
これは天性のものだと気づいた。
たとえば、同じBOOWYの曲を布袋が弾くのとDAITAが弾くのではまったく曲調が変わる。
DAITAには正確な技術はあるが、布袋の「やんちゃ」さがない。
だから、私にはBOOWYの曲に関しては、布袋には誰もかなわないと思う。
(もちろん、人によって好き嫌いはあるだろう)
私は、歌もある程度は歌えるが、うまくはない。
自分があこがれていた世界において、自分は不適切な人間だと思った。
プロとして通用するには、この「ノリ」や外見が不可欠である。
演奏仲間には、高校時代にはピチカート・ファイヴの小西康陽、大学時代にはVOWOWの人見元基がいた。
教師としては、私の父親は生徒から絶大な支持を集める稀有な性格があったが、私にはなかった。
それに、子供に英語を教えるのは向いていない。
わかりやすく教えることはできるが、人気が出るような教え方はできない。
父親は子供との親和性が高かったが、私はそうではなかった。
予備校の同僚に安河内哲也という超人気英語教師がいたが、一目見て、カリスマ性が違うと思った。
別の人種に見えた。宇宙人なのかと思った。
彼の教室は常に満席。
どの業界でもそうだろうだが、この業界でもスーパースターはごく一握りである。
少数の鯨と、多数の雑魚で業界が成立する。
そして、そのスーパースターは鯨の取り分を得て、残りを雑魚が分け合う。
ここでも自分のもって生まれた能力に限界を覚えた。
私のペイは彼らの10分の1にも満たなかったが、一応きちんと教えることはできるので、英語クラスの大半をもう一人の教師と分担していた。
ちなみに、大本教教祖の出口王仁三郎の孫が同僚にいたが、時給ン十万と言われていた。
こう見てくると、勝ち組になる人はごく一握りで、だいたいが負け組である。
私も負け組の口惜しさを味わってきたが、今から考えると、贅沢な悩みである。
そんな勝ち組、負け組などと区別しないで生きれば、楽しく生きられたはずだ。
上を見て、自分を見て、隣りと比べて、上下左右に首を振りながら生きる生き方は、人生の無駄遣いだと思う。
私には、神が与えられたDNAがあり、そのDNAを超えて何かを得られる可能性はゼロである。
自分に与えられた限界の範囲内で、精一杯努力すればいいと考えれば、楽に生きられる。
これも加藤諦三の本にあったが、三大登攀壁に成功したある登山家にマスコミがインタビューし、「これで三大登攀壁制覇ですね」と聞いたところ、「僕は好きでやっているので、そんなことはどうでもいい」と答えたという。
世の中の見方に影響されないで生きる独立心を強く養うことが楽に生きる生き方の秘訣だと思う。
2015年8月2日
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