職業に関するいくつかの誤解4


「イエスは、われわれの命を救ってくださったが、代償として『全的服従を要求される』」というと、行為義認と思われるかもしれないが、違う。

われわれが救われるのは信仰だけである。

代償はいらない。いや、いかなる代償も無益である。

しかし、だからといって「行為は不要だ」ということにならない。

われわれは、神の法を無視することはできない。

なぜならば、神の国の国民だからだ。

国民は国法を守る責任があるように、神の法を守る責任がある。


あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、
盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。(1コリント6・9-10)

ただし、失敗しても、悔い改めによって契約に戻ることができる。

かつては「罪のいけにえ」をささげたが、現在は、キリストの犠牲である。キリストにあって許しをいただき、また契約関係を回復できる。

 

 

2011年5月6日

 

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