「クリスチャンが政治的・経済的祝福を独占すべきだ」の意味
「クリスチャンが政治的・経済的祝福を独占すべきだ」というのは「クリスチャンだけが幸せになり、ノンクリスチャンは不幸のままでいい」という意味ではない。
エデンの園の話で述べたように、聖書では「祝福の川はエデンの園を潤すために流れ込み、そこから4本の川が流れ出た」と記されている。
これは、神の契約の民の居場所「だけ」がまず祝福されるべきであるということを示している。
しかし、その水は、エデンの園から4本の川になって世界に流れていたのであるから、世界も祝福されるべきである。
ここで「祝福はクリスチャンによって独占されるべきだ」は、「世界も祝福されるべきである」とつながらねばならない。
これは、すなわち、「クリスチャンに集められた祝福は、クリスチャンの裁量によって世界に分配されるべきだ」ということを意味する。
共産主義において、祝福は共産主義者の手によって国民に分配される。
キリスト教において、祝福はクリスチャンの手によって国民に分配される。
共産主義の場合、計画経済だが、キリスト教の場合、市場経済である。
分配は市場における売買によって実行される。
市場経済において「もっとも優れた商品をもっとも安く販売する業者が生き残る」が原則である。
それゆえ市場における勝者はクリスチャンに限定されない。ノンクリスチャンでも、良い商品を安く提供できれば勝者になる。
では「クリスチャンによる祝福の分配」はどのようにして起きるのだろうか。
1.政府
クリスチャンは、聖書の規定にしたがって、麻薬など反聖書的なものの売買を禁止する。
全国民に普遍的に利益のあるものの無料化。たとえば、電気、ガス、医療施設などのインフラ。そこにはパソコンのOSも含まれる。
このようなものをできるだけ安価で提供する。
ポルノ、ギャンブル、反キリスト的マスコミや芸能、反聖書的教育、オカルトなど、聖書が禁止するものの禁止。
同害刑罰や死刑制度の確立。
2.企業や個人
聖書に契約的に忠実なクリスチャンは富を蓄積し、社会において強い影響力を発揮する。
このようなクリスチャンは、聖書的な企業、神の国を拡大し、世界平和を促進するのに貢献する個人や団体などに経済的に支援する。
ディスペンセーショナリズムやリベラリズムなどの非聖書的な教理を唱える教会や教師、学校への経済的支援の停止。
3.教会
個人や団体が祝福されると教会への献金額も増える。
教会は、十分の一献金を用いて、困窮している兄弟姉妹や、神の国拡大のために働く個人や団体に経済支援する。
以上、クリスチャンの政権のもとにおいて、祝福はクリスチャンの手で分配され、神の国の建設に役立つ聖書的な個人や団体が利益を得られることを目指す。
クリスチャンの政治体制は、民主主義のように「神も悪魔も関係なく同じ権利と利益を」のような体制ではない。
2016年10月28日
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