自由と科学は調和できる
ヒューマニズムには2つの理想がある。どちらも「超越者はいない(もしくは、不要)」との前提から出ている。
1.人間は自由だ←超越者はいない
2.世界は科学の法則によって動いている←超越者はいない
1は、超越者、つまり、神はいないので、人間は神の法に縛られない、自由な存在だ、と考える。
2は、神は存在せず(もしくは存在しても世界に関与せず)、万物は科学の法則だけによって自律的に動いている、と考える。
この2つの命題は調和しない。
「人間は自由な存在だが、すべては科学の法則に縛られている。」
科学の法則に縛られているならば、人間は自由にならない。
理系の人間に多いが、霊現象や超常現象を簡単に否定する。
「処女懐胎?そんな馬鹿な!あるわけないでしょう!」と。
すべてが科学法則によって支配されているならば、世界は夢も希望もなくなる。
なぜならば、すべては弱肉強食の法則にしたがって起こるならば、正義も公正もへったくりもなくなるから。
クリスチャンは、科学法則を超越した神を信じるから、世界が弱肉強食で動いているとは考えない。
クリスチャンは、祈りを通じて神が働かれ、弱い者が強い者を倒すことを期待できる。
しかし、自然法則が絶対であり、超常現象は起きないと考えるヒューマニズムは、祈りも信仰も否定するので、夢も希望もなくなる。
誰も、希望なしには生きられないので、自然法則絶対論者は、日常生活において「正義の味方」を信じている。
だから、ヒューマニズムは、矛盾したものを信じないでは、生活を成り立たせることはできないのである。
クリスチャンは、考えを生活に矛盾なく適用できる。
人間は、強いか弱いかで権力を取れるか取れないかが決まるとは考えない。
ダビデは背が低くて、力が弱かった。しかし、背の高い勇者ゴリアテに勝った。
神に頼ることによって、小さい者でも勝てる、というのが聖書の教えである。
科学至上主義者のクリスチャンなどありえない。
クリスチャンは、科学法則には縛られない。
信仰によって、自由と科学は調和できると信じている。
2012年7月17日
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