すべては訓練だ
(1)
先ほど、本日締め切りの仕事をしながら、椅子に座ってうつらうつらしていると、突然、目の前が非常に明るくなった。
なぜか目を開ける気が起きなかったので、閉じたままだったが、聖霊が働いていることが分かった。
その光は10秒くらい続いて消え、元の蛍光灯の明るさに戻った。
外に光源はないので、車のライトなど人為的なものではない。
信仰に入りたてのころに何度か起こった現象である。
(2)
私が会社をやめて、神学校に行くと決意し帰省したとき、母が私の将来が心配になって祈っていたところ、銀色の光がほうき星のように頭の中をよぎり、「大丈夫だ」との確信が与えられたと言った。
(3)
疑わないで信じれば奇跡が起きる。
救われる人が与えられるように祈ると、毎日、教会に人がやってきて伝道して救われた。
アメリカで2か月生活したときに、眼鏡を紛失してしまった。
絶対に与えられると祈ると、持参した本の中から2万円が出てきた。
(4)
神学生のときにまったくお金がなく、教会のブランチ教会の開所式があったが、行きの電車賃しかなかった。
帰りの電車賃は必ず与えられると信じて行くと、誰にもそのことについて何も言わなかったが、ある教会員が進み出て献金してくれた。
(5)
会社時代、ソ連に派遣された。
献身をするような人が、他の仕事をするのがいかに苦しいことか献身者ならわかるだろう。
これは、言葉では説明できない。単に仕事が厳しいとか上司にいじめられてつらいとかそういう次元の苦しみではないのだ。
自分の使命と違うことをすることは、おそろしい。
ヨナのように、周りの人々を巻き込んで不幸にする。
そういう苦しみの中でソ連に派遣され、大学に通うことになった。
非常な恐怖があったが、滞在するホテルの入り口で「私はあなたを助ける」との声が聞こえた。
実際、精神崩壊になりかけたときもあったが、ぎりぎりのところで切り抜けることができた。
帰国時には、有意義な10か月を感謝することができた。
(6)
われわれに、行き詰まりはない。
必ず脱出の道はある。
ぎりぎりのところに追い込まれるかもしれないが、必ず解決する。
すべては訓練だ。
神の民としてふさわしい人になれるように神が整えてくださっているのだ。
2012年10月26日
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