十字架にかかって命を得るか、十字架を避けて死ぬか
十字架のない勝利は存在しない。
悪と戦い、神の国を前進させるには、犠牲が伴う。
労働という犠牲を払わずに成果だけを味わいたいと望むのは、泥棒の心理。
ある人気グループが愛国的な歌を歌った。
「自分の国を愛して何が悪い」と。
それに対してクレームが来て、謝罪した。
問題を起こしたくない気持ちはわかるが、戦いに勝利するには、傷を受ける覚悟が必要。
理不尽なクレームを放置し、事なかれ主義で謝罪に徹すると、クレームを言う側の「ごね得」が通ることになる。
こうやって韓国は、北朝鮮勢力に侵略されたのである。
まともな韓国人が追い出され、親日派が絶滅した。
慰安婦は単なる売春婦だった、と述べた韓国人の大学教授が、殴る蹴るの暴行を受けた。
このような悪の勢力に対抗するには、十字架しかないのである。
真理に堅く立って、妥協しない。
十字架を避けていれば、悪の支配は広がる。
日本人は、覚悟を決める時期に来ている。
自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。(マタイ10・38)
2018年6月18日
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