いずれ世界が日本を指導者として認めるようになるだろう


1.

日猶同祖論について語り始めた当初、トンデモだとか、いろいろ批判を受けた。

今でも「こじつけ」だとか「邪道」「異なるものの接ぎ木なので有害」だとかの批判があるだろう。

しかし、どうだろうか。

私が取り上げたころにはほとんどこの問題に触れる人はいなかったが、今では、ユーチューブだけでも無数のビデオが扱っている。

歴史学的、遺伝子学的にも裏付けられつつある。

批判にはうなずける部分がある。なぜならば、私も最初は「え〜〜」と思ったからだ。

ミレニアムのミニストリの中心である再建主義(セオノミーやポスト・ミレ、契約主義、前提主義)と同様に、日猶同祖論も、次第に、その正しさが明らかになりつつある。

このミニストリにおいて、再建主義は30年、日猶同祖論は20年の歴史がある。

考えに考え抜いているから、反論するには相当の力がないとできないだろう。

日猶同祖論は、一般に、(1)クリスチャンの視点が欠けていたり、(2)クリスチャンであってもディスペンセーショナリズムのバイアスがかかっているので、正しい方向に向かっていない。

(1)

飛鳥昭雄氏は、SF関連では意見を相当異にするが、日猶同祖論関係では、多くの点で首肯できる。

この問題に関する彼の知識の豊富さ、情報の正確さには脱帽する。

残念なことは、三位一体論者ではないという点だが、しかし、三神たける氏と同様、彼のキリスト教に関する知識はノンクリスチャンとして正確である。

(2)

日本の福音派クリスチャンの大多数がディスペンセーショナリストなので、日猶同祖論者の多くが「終末は近い」と信じている。

日猶同祖論と切迫終末論をどのように調和できるのか不思議でならない。

他の問題と同様に、日猶同祖論においても、神の国の拡大を結びつけることがなければ、その活動にほとんど意味がなくなってしまう。

私は、日本にはユダヤ系クリスチャンがまとまってやってきたと考える。

実際に証拠はたくさんある。

ユダヤ系キリスト教と異邦人系キリスト教では、大きな違いがある。

なぜならば、ユダヤ人は旧約時代において「契約の民」だったからである。

聖書において、福音とは、「ユダヤ人にだけ開かれていた神の家の扉が、異邦人にも開かれた」である。

だからといって、異邦人が2級市民であるというわけではない。

神は創世記において系図の中で、アブラハムの選びを「世界の祝福のため」であると啓示されているのだから、もともと聖書は「ユダヤ民族主義」ではない。

ユダヤ人は世界の諸民族の長子である。

長子は、子を代表する。

「諸民族の代表者としてのユダヤ人」のキリスト教とは、やはり「本格的な」キリスト教なのである。

旧約時代の2千年間聖書によって訓練された民族と、そうではない民族とは明らかに違う。

どちらが偉いか、の問題ではなく、役割の違いである。

男女は本質において平等だが、役割において違いがあるのと同様である。

その本格的なキリスト教を信じていた人々が「まとまって」日本にやってきた。

ユダヤ人は波状的に来日した。

何か特別な意味があると考えるのが普通である。

私は「ユダヤ人は、日本を約束の地、安息の地と考えていた」と推測する。

2.

エデンの園は、エデンの東にあった。

原語を逐語訳すると、


そして主なる神は、エデンの地、東方に園を置かれた。

And God the LORD planted a garden in Eden on the east side.

「バエデン ミッケデム」は「エデンに、東方に」の意味。

NASでは、toward the east, in Eden (東方に、エデンに)

KJVでは、a garden eastward in Eden (エデンの東方に)

と訳されている。

エデンの地が東にあるのか、エデンの園がエデンの地の東にあるのかどちらにもとれるが、私は、エデンが地の東にあり、その東にエデンの園があったと考える。

なぜならば、世界の構造を表す神殿や幕屋において、至聖所→聖所→庭→門が、西から東に向かっているからである。

神は天地創造において、天と地、陸と海、エデンとその他の地、園とエデンを分けられた。

これは聖別であり、人間の聖なる住処として、地が聖別され、陸が聖別され、エデンが聖別され、園がさらに聖別されたと考えるべきである。

門はエデンの園の東側にあった。

こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。(創世記3・24)

門から西の方向にエデンの園を見ると、

門を通して園とエデン山が見えたはずである。

これは、エルサレムの神殿だけではなく、ユダヤ人の建築であるゴシック建築や神社にも見られる構造である。

つまり、ユダヤ的組織であるフリーメイソンが作ったゴシック建築は両脇に門柱があり、三角形の屋根が見え、中央に円形のガラス窓がある。




この円形のガラス窓は「回る炎の剣」を表現したものだろう。

神社も同じように、正面から見ると、鳥居があり、三角形の屋根が見える形になっている。




鳥居や本殿の扉に菊花紋が描かれていることがあるが、エルサレム城門上にもある菊花紋と同様に、これももともと「回る炎の剣」の象徴であろう。




以上から考えると、聖書において、東は聖別された場所であり、「神の代理支配者の地」であると考えられる。

イスラエルのクリスチャンたちは、第2のエデンの園を求めて日本に移住したのだろう。

3.

かつて満州国があった中国東北地方が出身地の人が、知人の知人にいるが 、彼曰く、「満州はすばらしい国だった。日本には感謝している」とのこと。

台湾人も日本の支配を感謝しているし、日本支配の時代を知る朝鮮の人も「日帝時代は幸せだった」と言っている。

現在、共産主義中国のプロパガンダによって日本支配を悪く言うようになっているが、中国人も天安門事件前には、親日だった。

日本人が支配すると幸せになるのだ。

イラクでは自衛隊に感謝デモが行われたという。

○前代未聞の感謝デモ

 イラクでは噂が伝わるのが速い。2004年12月14日の自衛隊の派遣期間が終わりに近づき、またロケット砲が打ち込まれるという騒ぎが起こると、「自衛隊は帰るのか?」という懸念が瞬く間に広まった。

 すると140人の老若男女からなるデモ隊が「日本の支援に感謝する」と自衛隊宿営地に詰めかけ、口々に「帰らないで」と懇願した。
同時に「自衛隊の滞在延長を願う署名運動」が展開され、2日間で1500人もの署名が集まった。

 実は感謝デモはこれで二度目だった。4月に2度、自衛隊宿営地そばに迫撃砲が撃ち込まれると、サマーワ市民による百人規模のデモ行進が行われた。

スローガンは「日本の宿営地を守ろう」というものだった。

さらにいろいろな人が宿営地に来て、「申し訳ない。あれは一部のはねっかえりで、イラク国民の意思ではない。どうか帰らないでくれ」と陳情した。

 前代未聞のデモに、英米オランダ軍も驚いて、自衛隊に矢継ぎ早に問合せをしたほどだが、迫撃砲を撃ち込んだテロリスト達もこれでは逆効果だと思っただのろう。その後、派遣期間終了の近づく11月まで動きはなかった。

 もっともこうした事実は、日本のマスコミはほとんど伝えなかった。

https://ameblo.jp/anti-ccp/entry-12125491777.html

若者を中心に「日本が好き」と答えた人が9割いた。

https://news.careerconnection.jp/?p=30770

4.

なぜ日本人は人々を幸せにする民族なのか。

それは、日本が「聖別された東にある、神の代理支配者の国」だからである。

戦後、共産主義者が反日感情を植え付けようと、日教組を作り、子供たちを洗脳してきた。

(自国に敵意を持たせる教育は世界的に存在するらしい。おそらくイルミナティが教育を通じて、民族国家を解体しようとしているからだろう。)

このような悪魔の試みは、失敗に終わる。

いずれ世界が日本を指導者として認めるようになるだろう。

 

 

2017年4月29日



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