漢字の成立に日本人がかかわっていた?


『闇の歴史対談飛鳥昭雄x中丸薫―知られざる古代日本のユダヤと秘密結社』(学研)で興味深い情報があった。

北イスラエルを滅ぼし、捕囚したアッシリアは、スキタイ人に滅亡させられる。

スキタイ人と捕囚されていたイスラエルが合同して行動するようになり、イスラエルが騎馬民族化した。

夫余族はその一つかその流れをくむ民族だろう。

この騎馬民族である夫余族の王は解夫婁という。日本読みにすると、ヘブル。

この解夫婁が日本にやってきて大和王朝を作った。

この解夫婁という漢字、日本読みではじめて意味が通る。

次の朝鮮の神話に登場する、解夫婁が目指した東海にある迦葉原という地(つまり日本)は、日本読みにすると「カバラ」。


解夫婁王は老いて子が無く嗣子を求めていた。ある日鯤淵(こんえん、地名)の池で、王の乗っていた馬が岩を見て立ち止まり涙を流した。王は不思議に思い、その岩を動かしてみると金色の蛙の姿をした子供がいた。王は天が私に嗣子を与えてくれたと思い、名を金蛙と名付け太子とした。
その後、宰相の阿蘭弗が「天の神が私に降臨して、『吾が子孫がいずれ国を作るだろう。この地から離れなさい。東海に迦葉原(かはばる、かしょうげん)という地がある。そこは五穀が良く実る。ここに都を遷すと良いだろう。』と言いました。」と解夫婁に進言し、王は都を迦葉原の地に遷都し国名を東扶余とした。
このようにして扶余の都から元の王である解夫婁がなくなった後、天帝の子を自称する解慕漱(かいぼそう、へ・モス)がどこからか現れて、都を開いて扶余王となった。解慕漱がなくなった後、金蛙は扶余王となった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E8%9B%99%E7%8E%8B

宰相の阿蘭弗も、日本読みにするとアラブ。

徐福が出てきた秦の始皇帝の本当の父親である呂不偉(*)も、日本式に読むと「癒し手」という意味になる。(**)

日本語読みにしたときにだけヘブライ語として読めるということは、何を意味するのだろうか。

「日本人の祖が秦にいたころに漢字が編纂された」と飛鳥氏は言う。

つまり、漢字の成立に原日本人がかかわっていたと。

実際、漢字には、聖書の知識がないとわからないものがある。

義=羊+我 → 自分の上に羊(イエス・キリスト)がいるときに、義になる。

船=舟+八+口 → 8人の人間が乗ったノアの箱舟を示す。

http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/108kanji.htm

ヤ・ウマト(神の民)である日本人が中国にいたころ、その聖書の知識に基づいて漢字が編纂されたのかもしれない。


(*)
『呂不偉列伝』によると、呂不偉が寵愛していた舞姫を子楚(すなわち、後の荘襄王)がもらいうけたが、そのとき、すでに呂不偉の子を身ごもっていた。つまり、荘襄王の子とされている始皇帝は、実は呂不偉の子であったということになる。

(**)
呂不偉(ロフイ)はレビ、つまり、イスラエル人であろう。ということは、始皇帝もイスラエル人。司馬遷は『史記』において「始皇帝は鼻が高く、目は切れ長で、顔は蜂のように尖り、胸は鷲か鷹のように突き出ている」と記した。

 

 

2013年8月11日



ツイート

 

 ホーム

 



robcorp@millnm.net