アルミニウス主義という妙薬
プロテスタント教会を効果的に追放する上で、「われわれ(つまり、われわれカトリック信者たち)が」イングランドに「仕掛けた」という「アルミニウス主義という妙薬」の将来には大きな期待を持つことができた。当時、カトリックとアルミニウス主義が手に手を取り合って、楽しそうに踊っていた。ティンダルは、かかる事情を伝えている。
「教会は、絵画や像、祭壇などで飾られており、聖体拝領のテーブルの代わりに祭壇が備え付けられ、それと聖体に対してお辞儀をすることが求められた。予定に関する教理は、それを説教するだけではなく、印刷することすら禁止されていた。聖体(Articles)のアルミニウス主義的な意味が奨励され、伝えられていた。」10
それゆえ、イエズス会が歓喜したのも、故なきことではなかった。最近「仕掛けられた」「妙薬」は、チャールズとロードの庇護のもと、実に深くまで根を下ろし、上では実を結んでいた。ヘイリンも、同時代の別のイエズス会士が正しく事情を伝えていることを認めている。当該のイエズス会士曰く「プロテスタント主義は、自らにうんざりするようになっている。先祖たちがローマ・カトリック教会を捨てる原因となった多くの点で、(実権を握るアルミニウス主義者たちが)教理を改変しているからである。たとえば、父祖リンボ界[訳注:洗礼を受けなかった幼児やキリスト降誕以前に死んだ善人の霊魂が,死後に住む所]、死者のための祈り、神の戒めを守る可能性、カルヴァン主義の説明では反逆ではないとしても少なくとも異端とされるべきことなどである。」11
地獄から出てきたアルミニウス主義
法廷神学者たちがこれらの立場を主張することは、実際に「改変」であった。遺棄されたヘイリンは、この原因を「われわれの宗教の数人の告白者のうちに見られる創造力と中庸」に帰した。提示された証拠を要約すれば「アルミニウス主義は、ローマ・カトリック教会に由来し、出てきた地獄の中に舞い戻る」との結論に行き着くだろう。
脚注: 1. Strype, u.s. 2. Job 1:7 with 1 Peter 5:8. 3. Matt. 23:15. 4. Bath Chronicle, for Feb. 6, 1772. 5. Bower's Hist. of the Popes, vol. 1, p. 350. 6. Bower ibid. 7. Arminius, in Oper. P.115. Ludg. 1629. (See book for Latin.) 8. Hoord, In Bishop Davenant's Animadversions, Camb. 1641. 9. Hidden works of darkness, p. 89, 90. Edit. 1645. 10. Tindal's Contin. of Rapin, vol. 3 octavo, 1758. 11. Life of Laud, p. 238.
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