ユーチューブでの議論から
>言いたかったのは、一神教の方は 自分の神様が一番優れていて、他人の神様は自分のより下等と思いがちという事。
>(熱心に信仰していたら、そのように思ってしまうのが人情だと思いますが…悲しいですけど。)
>一神教ならまだしも 多神教は野蛮だと考えている事。これは良くないと思います。
一神教と言ってもキリスト教は、三位一神教です。
つまり、3人の神が契約的に一人である。
これは、法人のようなものです。
多くの人が集まって契約のもとで一人のように行動する。
イスラム教の一位一神教ですと、多様性が軽視されます。
多神教ですと、統一性がないので、宇宙に統一的に働く法則を探す科学は成立しません。
多様性と統一性を同時に満たすのは、聖書の三位一神教しかありません。
人間は、矛盾したものを同時に信じることはできません。論理的に矛盾したものをそのまま受け入れてもいいということになれば、学問は成立しない。
真理は一つです。
殺人は罪である。嘘をつくことも、人を騙すことも罪。
神が多数いて、異なる主権を主張する宇宙であれば、そこに正義を求める意味はなくなってしまいます。
神はお一人であり、ご自身の定めた法を破る者を赦すことができない。「細かいことは言わない。まあ適当にやるように」というようなお方ではありません。
そうであれば、神ご自身がご自身が定めた法を否定することになりめちゃくちゃになります。
神は正義を求めるが、同時に人を愛しておられる。
だから、ご自身のひとり子を十字架につけて、私たちの罪を裁いてくださった。私たちは、その犠牲によって自分の犯した罪をすべて赦され、帳消しにされる。
神は正義であると同時に愛である。
この2つの要求を同時に満たすのは十字架しかありません。
>多神教になってこそ、神様に優劣をつけていない、少なくともよその神様を充分に尊重していると言えるのではないでしょうか。
>繰り返しますが 神様に優劣をつけてしまうと 争いになってしまうでしょう。
争う必要はありません。
真理は必ず勝利します。
世界は神によって支配されているので、正義は「必ず」勝利します。時間がかかるかもしれませんが、必ず勝利します。
私たちは、忍耐をしながら、正義が実現することを待ち望み、また、正義の実現のために努力しなければなりません。
>神のためじゃなく 自分と家族のため、ひいては民族と祖国のために生きて良いと私は思っています。
>神様の命令がなくても 理性的な人間同士が思いやりをお互いにもって考えれば
>どのようなきまりを作れば良いかは見えてくると思います。
>でもこれは日本では可能でしょうが、国をとりまく環境の違いや それぞれの民族性や歴史があるので
>他国では難しく 宗教の戒律がどうしても必要なのかもしれませんね。
そうですね。神のために生きるというのは、結局は自分と家族のために生きることになるのです。
なぜならば、神は正義と愛のために働く人に必ず報いてくださるからです。
この宇宙を支配しておられる一人の神が、絶対的な力を持っているので、悪を裁いて、平和と義の世界を実現してくださる。
私たちが希望を持って生きていけるのは、神が誠実だからです。
神はご自身の定めた法を尊び、その法を守る人々を絶対に失望させません。
今日本がいわれなき罪を着せられていても、邪悪な人々が勝利しているように見えても、必ず神は誠実な日本人を勝利に導いてくださると信じています。
>多くの日本人は、宗教による縛りが少ないので、思想の上で自由だと考えていましたが
>もしかしたら日本人の場合は、(天災が多い国だからだと思いますが)
>自然に対する畏敬の念と崇拝する気持ちが (それこそ自然に)大変強いので 自然崇拝教信者であるのかもしれません。
そうだと思いますが、ただ、私は、日本はクリスチャンの国だと考えています。
日本の文化は秦氏が大きく影響を与えましたが、秦氏は、もともとシルクロードの弓月国から来たことが日本書紀に書かれてあります。
実は弓月国は、キリスト教国だったのです。それもユダヤ系のキリスト教国。
初代教会の人々、つまり、イエスの弟子たちが、イスラエル崩壊の後、東に向かった。その人々とその子孫が日本に波状的にやってきたのでしょう。
神道には、榊を振って罪を祓う儀式がありますが、ユダヤ人もまったく同じことをします。
この「お祓い」は、罪の代価を払うという意味があります。
意味においても形式においても、日本はユダヤ人と同じことをしている。
ユダヤ人が日本に来て実に同じ風習を持っていることに驚いています。
私は、日本こそが本家本元のキリスト教国であり、欧米は、異邦人系のキリスト教を信じているので、様々な点で聖書とは異なる行動を取るのだと思います。
日本人が水と塩で聖めを行うのも、ユダヤ人と同じ。
日本文化が韓国や中国と違って清潔を重んじるのは、聖書に由来すると思います。
天皇が即位式である大嘗祭において、湯帷子を着て水に入って新しい湯帷子を着て出てくるのは、洗礼に由来します。
その後、天照大神と食事をしますが、これも聖餐と同じ。
そして、斜めに傾いた畳の上に寝ますが、これもイサクの奉献の儀式。
新しい天皇は、天皇霊を受けますが、これも聖霊のバプテスマと同じ。
神は表のイスラエルに対して、裏のイスラエルを日本に作っておられ、そこが本物のイスラエルだったということでしょう。
天皇家の紋章には、獅子と一角獣がありますが、一角獣は北朝イスラエルの紋章。獅子は南朝イスラエルの紋章です。
天皇家の表紋は十六花弁の菊、裏紋は桐ですが、イスラエルの紋と同じです。
(桐紋は3本の茎と3枚の葉で、六芒星に置き換えられます。事実伊勢神宮の紋は菊と六芒星)
神武天皇がニギハヤヒと璽(三種の神器)を見せ合って同族であることを確認し、ニギハヤヒから国譲りを受けたのは、南朝イスラエルの正統な王朝のダビデ系列である神武天皇が、北朝イスラエルの系列のニギハヤヒによって王権を譲られたのだと考えます。
日本において南北朝イスラエルは統一され、イスラエルは復活していたのだと考えます。
私が作ったビデオを見ていただきたいです。
明治天皇が日本はユダヤが起源であり、それがキリスト教に習合されたと言われたと、明治天皇の孫の小林隆利牧師が、母親から聞いたと証言されています。
https://www.youtube.com/watch?v=LPEVfvXbns0
>なるほど。果実によって、人間は自由である事を知ってしまった
>でもルールの無い自由は、大変に危険な事でもあるので、愚かな人間には戒律が必要ということですね。
>書き込んでいるうちに「禁断の果実」とは「民主主義」の事であるのかな?と思いました。
>民主主義は危険な思想 という言葉をご存じですか?
私は最近知って驚きました。
>民主主義を「何をしても良い自由=弱肉強食の自由」と置き換えて考えてみると 良いかと思います。
>何をしても良い自由は トップに立つ人間ですら、安心して暮らせません。
>だからルールを作る必要があり、そのルールを作る人間あるいは統治者は慎重に選ばなければならない。
そのとおりです。
民主主義は、民が主になる思想ですが、結局は弱肉強食になってしまい、弱い者が虐げられます。
超越的な規範のない自由は、カオスになります。
日本は、教育勅語によって道徳が重んじられました。
戦後、フリーメイソンのマッカーサーによって道徳教育が禁止され、日本は日本人の精神を失いつつあります。
これからこのようなカオスが続けば日本は滅亡してしまいます。
日本は百済人藤原氏がキリスト教の痕跡を消した前の、本当の姿に戻る必要があります。
>しかしそれは非常に難しい。
>民主主義による不幸が今の日本にはあると思います……
>(昔昔から日本は民主主義でした。アメリカが誕生する前から)
>何か間違いがありましたら教えて下さい。?
日本には、独裁者がいなかったのです。
日本は神の国であり、日本人は神の民です。
大和は、ヘブル語の「ヤ・ウマト(神の民)」から来ています。
世界を救うことができるのは、日本しかないと私は信じています。
2014年11月20日
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