もうサタンの誘導にのるのをやめよう


普通のキリスト教をやるならば、こういうことは起きないだろう。

われわれは、2000年間のキリスト教史を振り返り、何が正しいことで、何が問題の核心かを知っている。

ミレニアムは、問題の核心をぼかしてこなかった。

われわれが提起している問題は、人類にとってもっとも大切なものはなにかということである。

人類にとってもっとも大切なものとは、「神の世界を神のために取り戻す」ということだ。

この世界を本当の持ち主のもとに返そうということだ。

サタンは、このテーマをぼかすためにいろんな攻撃を仕掛けてくる。

「世界はキリストのものではない。キリストのものになるのは、再臨の後だ」という教えを吹き込んできた。

または「この物質世界は悪であるからクリスチャンは接触すべきではない」という教えを吹き込んできた。

「世界は神が与えてくださった本来よいものである」という教えを捨てさせ、禁欲を奨励し、世俗に属するものをすべて捨ててきた。

牧師は、「この世の中で世俗の仕事をしても、報いはありません。献身して、牧師や伝道師にならないと、時間の無駄になります」という教えを唱えてきた。

全部サタンの惑わしである。

サタンはこの世を征服したいのである。

だから、クリスチャンをできるだけ目覚めさせたくないのである。

クリスチャンが「地を従えよ」の命令に目覚めると、自分がそれまで作り上げてきた世界体制を破壊されるとおびえている。

だから、核心をつく発言をするわれわれをいろいろな攻撃によって分裂させ、互いにいがみ合うように仕向けている。

どうか真のターゲットから目をそらさないでほしい。

われわれに対する攻撃は、すべて「地を従えよ」の使命から引き離すために行われている。

この使命に気づかなければ、教会活動にしろ伝道活動にしろ、サタンにとって怖くないのだ。

こちらは、相手の急所を突いている。

だから、普通のクリスチャンになるのと、われわれの活動をするクリスチャンになるのとは、扱いが全然違うのだ。

しかし、どうだろうか。

迫害や妨害、悪口雑言、不名誉、試練を避けて、平穏に終わる人生がそんなによいものだろうか。

われわれはむしろこう考えるべきだ。

一度しかない人生を神のために尽くしたいと。

それこそが、本当の祝福ではないだろうか。

問題をぼかして、何がポイントであるかを教えられないで、的外れなことをやって時間を浪費するのがよいのだろうか。

耳触りのよい毒にも薬にもならない教えを奉じて、できるだけ摩擦の少ない人生を送りたいだろうか。

私は、神が一番望んでおられることに集中したい。

それこそがもっとも有意義な生き方だと思う。

だから、この使命に集中し、あらゆる雑音を排除していきたい。

もうサタンの誘導にのるのをやめよう。

悪魔の国を根こそぎ破壊し、神の支配を拡大しよう。

そのために生涯をささげよう。

 

 

2014年12月12日



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