歴史の発展は神によって保証されている
聖書は進歩史観を教えている。
麦と毒麦のたとえは、歴史とともに、悪の勢力は姿を現し、それまであいまいだったものがはっきりと分離される、ということを教えている。
歴史とは、金の精錬のようなものだ。熱して液体になると、不純物が上に浮いてくる。
それを除去することによって純金が生まれる。
白と黒が混じって灰色になっている場合、神は灰色の状態を放置されない。
必ず、白は白、黒は黒の姿を表すようにされる。
キリスト教という名前が同じでも、白いキリスト教と黒いキリスト教がある。
そして、今の時代に灰色になっているキリスト教を白いキリスト教にするために、神は一時的に黒いキリスト教の姿を示される。
黒いキリスト教が表れたら、それは排除されるためである。
「黒いキリスト教が支配するだろう」なんて考えてはならない。
それは、神の力を信じない不信仰である。
神の国は拡大する。
それは、聖書が繰り返して述べている。
ネブカデネザル王の夢に出てきた切り出された石は、イエス・キリストを表している。
この石が異邦人の帝国を破壊し、それが全土に満ちていく。
神の国は、パン種のようなもの、からし種のようなもの。
つまり、最初は小さいが、必ず大きくなり全体に影響を与える。
だから、歴史が進展するのは、神の御心だからだ。
全能の神がその進展を計画されたので成就する以外にはないのだ。
どんなにサタンが勝利するように見えても、最後にはひっくり返されて、神の国が勝利する。
われわれの時代は白と黒が分かれつつある時代である。
そして黒は取り除かれ、残るのは白である。
このようにして世界は次第に純化されていく。
「2000年前のほうが今よりもよかった」とする前千年王国説は完全な謬説である。
これは、「2000年の間神は失敗し続けてきた」といっているのと同じである。
2011年2月5日
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