サタンの一時的な解放
しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、
地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。
彼らは、地上の広い平地に上って来て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。
そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。(黙示録20・7-10)
「ゴグとマゴグ」という言葉で表現される民族は、地球の四方に存在する。この言葉は、地理的な意味ではなく、象徴的な意味に解釈すべきである。つまり、彼らは世界中に存在するのである。エキュメニカル運動。あらゆる民族が騙される。敵の数は、海の砂のように多い。
ある人々は、敵対の性質がどのようなものであるか想像できない。用いられている言葉が非常に明確であるため、それが武力の戦い―つまり剣と銃の戦い―ではないと言われても、信じられないだろう。主は「キリスト教の闘いは、肉的な剣で争うべき戦いではない」と明示される。それは「真の福音と偽物の福音の間の戦い」、「真実と偽り」、「光と陰」の間の戦いである。血肉に対する戦いではなく「主権、権力、この世界の暗闇の支配者たち、いと高いところにいる邪悪な霊に対する戦い」である 。旧約聖書の戦争は、新しい経綸における霊的な戦いの型である。
これは、一瞬のうちに起こることではない。1日、 1週間、 1ヶ月、 1年のうちに起こる戦いではない。諸民族に対する欺きは、密かに進行する。われわれは、福音的な世代がモダニストに変わりつつあるのを目撃している。千年王国の期間が終わるときに、同じことが起きる。平和と繁栄が続くため、人々は不注意になる。サタンは心に疑いを植え付け、そこから不信仰が生まれる。初めの頃、神に対する反逆は、公にならないかもしれない。ユダのように、反逆は心の奥底に隠れているだろう。しかし最後には、表面化し、野火のように明るく輝く。民族は次から次へとサタンの毒にやられる。この特別な時代において、鎖も牢獄もサタンを拘束しない。
「神の祝福のもとで繁栄している幸せな人々が、このような世界的な反逆に陥るだろう」というと、奇妙に思う人もいるにちがいない。「サタンが人々の心を全く変えてしまう」というと「そんなことは、ありえない」と反応する人もいるだろう。しかし、なんと、それが歴史の中で繰り返し起きてきたことなのである。神の御前にいた御使いほど幸せな存在は何もないだろう。しかし、サタンと多くの天使たちは反逆した。美しい楽園にいたアダムとエバほど幸せな人は誰もいないだろう。しかし、彼らは、サタンの簡単な誘惑に騙され、神の命令を破った。ソロモンの統治下において繁栄していたイスラエルが、自らを豊かに祝福してくださった神に反逆した。歴史の中で、サタンの秘密の作戦によって、神に祝福された人々が神とキリストに逆らうようになった事例は、枚挙にいとまがない。
(J. Marcellus Kik, An Eschatology of Victory, P&R, pp.238-239)
2016年7月16日
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