創造者の意図を知ることはお金には変えられない
1987年にラッシュドゥーニーやグレッグ・バーンセンの著書を読み始めたころ、一文一文が金科玉条のように思えた。
今はそれほどでもない。
ラッシュドゥーニーが扱っている内容がだいたいわかるので、そういう時代は過ぎた。
ある人から影響を受けるように神が定めた時期に、その人の文章は、まさに自分の心に深く入る。
それは量的なものではない。
一つの言葉でも、ものすごい影響力がある。
私は、1987年の段階で、彼らの思想を学ぶように定められていたので、文章の一つ一つが宝物に思えた。
ラッシュドゥーニーは、その扱う内容が非常に多岐にわたり、しかも学問的にしっかりしているので、日本でも翻訳が読まれることを強く勧める。
私は、彼の翻訳をそのまま紹介する余裕がない。
仕事があるので、翻訳している時間がない。
それでエッセンスを紹介している。
このHPをよく読んでおられる方は、世界観が完全に変わるはずである。
進化論に基づく無神論的な世界観で教育を受けてきたので、聖書啓示に基づくそれに驚かれるかもしれない。
しかし、実は、こちらのほうが正しい。
世界が偶然にできるはずがない。生物が今の姿に偶然になるわけがない。
それは確率的に不可能である。
すべては神の創造なのである。
だから、創造されたものとして、世界を見るべきである。
創造されたものである以上、そこには計画性があり、思想がある。
単に偶然の寄せ集めではなく、創造者の思想が貫かれている。
それを学ぶことが、いかに重要であるか。
カネには変えられない。
被造世界を貫く思想とは、契約である。
神と人間の契約。
神は契約を通じて、人間に世界の管理を委ねられた。
人間は、だれでも神の被造物の管理者としての責任を負っている。
それをきちんとこなしたか、そうでないか。
それが評価となって、永遠の運命が決まる。
神のしもべ、管理者として人生をどのように使ったのか。
それを最後に問われる。
自分の生涯の評価が下る。
少ない資源で、多くの業績を上げた者は、高い評価を受けて、永遠の報いは大きい。
大きな資源で、少ない業績を上げた者は、低い評価を受けて、永遠の報いは少ない。
神の国に敵対し、破壊する側に回った者は、永遠の刑罰を受ける。
その破壊の度合いが激しければ激しいほど、刑罰も厳しくなる。
生涯を、戦争を通じての金儲けに使ったようなイルミナティの連中がどれほどの刑罰を受けるか。
悪魔を崇拝した人間がどれだけの刑罰を受けるか。
神の創造の計画、その思想を知ることがいかに重要であるかお分かりだろうか。
学校では教えてくれない。
教会でも神学校でも教えてくれない。
的を外しているこれらの教育機関では学べない。
神はわれわれに何を伝えておられるのかに集中せず、もっぱら自分の関心事を中心に回っているこの反逆の世界で、正しい教えを効率よく教えてくれることを期待してはならない。
インターネットを通じてこのようなチャンスが与えられたというのはどれほどの祝福なのだろうか。
私はラッシュドゥーニー、グレッグ・バーンセン、ゲイリー・ノースらから学んだ。
聖書を貫く思想、世界観を学べるのは、残念ながら、ここにおいてよりほかはない。
これからどんどんと教育者が育ってほしい。
再建主義を勉強して、自分で教えることができる人が増えてほしい。
最終的に、世界中の教会・神学校・教育機関が、聖書に立った教えを伝え、神が創造世界において何を期待しておられるのかをみなが知ってほしい。
この知識と比べるならば、今どこでPhDを取ろうがどうでもいいことである。
常に神が期待される知識に焦点を当てられる人が一人現れるほうが、ノーベル賞受賞者や博士が何人も生まれることよりもはるかに重要である。
そして、人生の最終評価は、この点に的をどれだけ絞れるかにかかっている。
お金には変えられない価値が、このHPにはあることを理解していただきたい。
2014年12月6日
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