自分ひとりでこの情報を手に入れるのがどれだけ大変か


ここで何度も言うが、知識や考え方は無料ではない。

知識や考え方を伝える人は、それなりに努力している。

わかりやすく正確に伝えるにはどうしたらよいか悩んで言葉を発している。

この「伝え方」で悩まない人は、話が分かりにくい。

三位一体の知識は難しいが、それをわかりやすく伝えるために努力した。

三位一体と政治や文化を結びつけて説明できる人などざらにはいない。

まず、そのような問題意識すらもたない人がほとんどである。

しかし、神における「一と多」が被造物における「一と多」と密接に関係しているのは事実である。

ヴァン・ティルは、神学者向けにそれを説明したが、一般信徒向けに説明している人はいない。

私は、神がおひとりであり、同時に3人であられることを、被造世界における「統一性と多様性」にわかりやすく適用している。

世界が神の被造物である以上、神の存在の様式が被造物に反映するのは当然である。

政治における全体主義も、無政府主義もいずれも、正しい体制でないと言える根拠は、神のご存在が全体主義でも無政府主義でもないからである。

このような存在論に関する根本的な知識、つまり、人間にとって「絶対に学ばなければならない知識」をわかりやすく説明してきた。

また、認識論に関する根本的な知識も提供してきた。

ヒューマニズムの認識論がカントにおいて確立され、それに対抗するキリスト教側の認識論がヴァン・ティルによって明確にされたことを説明した。

世界観の主要な要素は、1.存在論、2.認識論、そして、3.倫理である。

この3つについては、どの学校でもどの教会でも絶対に教えなければならないが、教えられていない。

人生において絶対に学ばなければならない事柄が、教えられていない。

人間は、誰でも世界観(宗教)を持っている。

ある人は仏教の世界観を持ち、ある人は共産主義の世界観を持ち、ある人はヒューマニズムの世界観を持つ。

しかし、世界観を持たない人は誰もいない。

「私は無宗教です」と言う人であっても、何らかの宗教的断定を下しながら毎日生活している。

「万引きをしたらダメ!」と子供を叱っている。

世界観が背後にない人は、子供に対して何も教えられない。

職業生活もできない。

万人は宗教家である。

しかし、その自分が持っている世界観もしくは宗教が正当であるか厳密に反省しない。

だから、ぶれる。

世の中の流れに流される。

何が正しくて何が間違っているか厳密に考えていないので、自信が持てない。

クリスチャンであっても、異なる世界観を受け入れている場合、正しく行動できない。

死刑反対を唱える。

死刑反対に対する聖書的反論にこたえられない。

聖書と矛盾した行動をとる。

結局、それによって人生を無駄にする。

世界観が間違っていたら、人生も間違っている。

だから、世界観についてきちんと教えてくれる人は重要なのである。

漠然と教える人ではだめだ。

はっきりと理由を示し、それに関する歴史的な研究史をふまえた上で、明確にしかもわかりやすく教えてくれる人などいない。

私は、ミレニアムにおいてこの根本的な問題を取り上げてきた。

無駄な部分を一切省いてきた。

これにどれだけの労力を割いたか。

豪華な料理も、食べてしまえば終わりである。食べるのに10分もかからないかもしれない。

しかし、それを作る人は膨大な時間とお金を使って、レシピを考え、試行錯誤のうえで提出する。

ここで提出している問題と、その解説には多大な労力が背景としてあることをご理解いただきたい。

私は、最短の労力と時間で咀嚼できるように情報を提供しているつもりである。

できるだけおいしいごちそうになるように努力している。

自分ひとりでこの情報を手に入れるのがどれだけ大変か考えていただきたい。

 

 

2016年8月1日



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