籠神社と伊勢神宮の配置は聖書の救いのメッセージを伝えている
飛鳥昭雄氏が面会した八咫烏によると、伊勢神宮のご神体が日本に上陸したのが天橋立のある籠神社。
ここは、元伊勢の中でも特別なので本伊勢と書く。
ご神体は十字架である。
十字架は、放浪をする。
いろいろな場所を移動してやっと五十鈴川にたどり着く。
この五十鈴はもともと伊須須と書いた。
これは、ギリシャ語でイエスを意味する「イエスース」を連想させる。
また、「伊」という文字には、「天地を仲介する者」という意味がある。
私は、この放浪と到着が、モーセとヨシュアの荒野の旅を模しているのではないかと思う。
モーセとヨシュアが率いるイスラエルの民は、荒野において放浪し、最後にカナンに入るヨルダン河に到着した。
ご神体の十字架は内宮に置かれている。
外宮には旗竿と呼ばれる「蛇が掲げられているT字型の十字架」がある。
これは明らかにモーセの青銅の蛇である。イスラエルの民は、腫物に苦しんだときに、モーセの青銅の蛇を仰ぎ見て救われた。
これはイエスの十字架の予型である。イエスを仰ぎ見る人は救われることを示す物語である。
外宮は旧約聖書を、内宮は十字架を象徴する。
この十字架はT字型をしており、真っ白な絹がかけられている。
地下宮には、契約の箱があるという。
十字架の血がかかる形に配置されている。
これは、キリストの犠牲による救いを象徴している。
キリストの血によって契約が成就したことを示す。
キリストを信じる人は誰でも契約を成就したとみなされる。
さて、この十字架、正中より西北にずれているという。
これは、伊雑宮を指し示すためである。
八咫烏によると、伊勢神宮は、内宮と外宮だけではなく、伊雑宮がそろってはじめて成立する。
なぜか。
おそらく、旧約聖書と十字架の犠牲の次に復活がなければならないからだろう。
伊雑宮は復活を象徴する宮なのではないか。
三重県志摩市磯部町恵利原には、「天岩戸」がある。
伊雑宮があるのが、三重県志摩市磯部町上之郷である。
同じ磯部町である。
三重県伊勢市磯町の磯神社は、「「磯宮」あるいは「伊蘇宮」という行宮の跡に建てられた」というので、「磯」=「伊蘓」であろう。
http://www.geocities.jp/engisiki/ise/bun/is080115-01.html
蘓は、蘇と同じ意味を持つ。つまり、よみがえりを意味する。
「伊蘓」とは「天地を仲介する人がよみがえる」という意味である。
天岩戸も伊雑宮も同じ「伊蘓(磯)=天地を仲介する人がよみがえる」土地にある。
籠神社からたどってみると、十字架のご神体は、北から南へ移動した。
そして、籠神社→外宮→内宮→天岩戸→伊雑宮とほぼ一直線上に並んでいる。
http://www.millnm.net/qanda4/isejinguukonojinjaamanoiwato.jpg
これは、これらの社を建造した人々がなんらかのメッセージを伝えていることを意味する。
モーセの民の荒野での彷徨→青銅の蛇→十字架の贖い→復活を意味するのであろう。
日本の中心の神社である籠神社と伊勢神宮の配置は、聖書の救いのメッセージを伝えているのだ。
日本は聖書のイエス・キリストの物語を実際的に示す国なのである。
2012年11月5日
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