キリスト教は動物を虐待しても何とも思わない?
「動物を打ち殺す者は、いのちにはいのちをもって償わなければならない」(レビ記24・18−21)
聖書は、動物愛護である。
しかし、動物を食べることは禁止されていない。
虐待が禁止されているのである。
この律法では、動物を虐待して殺す者は、死刑に値するとある。
(人間の場合は贖い金を取ってはならないが、動物の場合は贖い金で解決できた。)
日本人がよく誤解してこういう。
「キリスト教は、自然を自分とは異なるもの、支配すべきものと見るから、動物を愛護しない」
「支配」は、必ずしも虐待を意味しない。
「地を従えよ」とは、万物の復活である。
被造物を本来の姿に戻し、さらに発展させることである。
罪が入ることによって堕落した自然界をもとの祝福された状態に戻し、さらに、その可能性を十分に引き出すこと。
紀元70年にイエス・キリストは、法的に世界を復活させられた。
もはや「それ自体で」呪われているものはない。
すべてが神と和解した。
その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。(コロサイ1・20)
法的には和解しているが、実際には和解していない。
人が神に敵対している限り、和解していない。
われわれが神を無視して行うこと、敵対的に行うことは、「汚れ」である。
その意味において、「世界の弟子化」とは、「神に喜んで従う人々」を増やすことである。
そして、その人々が職業などを通じて被造物を本来の神礼拝の目的に利用していくならば、和解は広がる。
2014年2月27日
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