悪者のカウンセリング・助言を聞いてはならない
幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。(詩篇1・1)
幸福に至る道の第一歩は、「悪者のはかりごとに歩ま」ないことである。
「はかりごと」と訳されている言葉は「カウンセリング」とも訳せる。実際KJVでは次のように訳されている。
Blessed is the man that walketh not in the counsel of the ungodly
「悪者」はここでungodly。
辞書を見ると「不信心な人」とある。
「不信仰な人のカウンセリング」を受けてはならない。
それが、医者であっても。
不信仰な人からの助言は、自分を破滅に導く。
幸福になりたいならば、聖書に反することを言う人の助言を聞いてはならない。
じゃあ、すべてノンクリスチャンの医者の助言を聞いてはならないのか、という問題があるかもしれないが、そのノンクリスチャンの医者のアドバイスが、邪悪でなければよい。
反聖書的でなければ、聞くことができる。
しかし、だいたいにおいてノンクリスチャンは医者に限らずほとんど全員が、われわれを信仰から引き離そうとする。
ノンクリスチャンの病院に入院することが危険なのはこの点である。
完全に相手の管理下に置かれたときに、クリスチャンが、ノンクリスチャンから攻撃を受けて「信仰を捨てるように圧力をかけられる」恐れがある。
実際、そういう事例を耳にしてきた。
このHPにおいて、聖書的な見解が示されたならば、それを回避することは、新たな地獄の始まりである。
その人は、耳障りの良いほうに逃げようとしている。
サタンは孤立したころあいを狙って、罠にかけようとする。
最初は、心地よい扱いも、いずれ自分を泥沼の地獄に落としていく。
聖書的な見解は、いくらぶっきらぼうであっても、それが示されたならば、回避してはならない。
感情的に嫌でも、聖書的な教えは受け入れなければならない。
それを回避するならば、際限ない苦痛が待っているだろう。
われわれは、神の主権から逃げることはできない。
どんなに逃げても、神は主権者として追ってこられる。
われわれが、全的に降伏しない限り、神はとことん主権者としてのご自身を示される。
悪者のカウンセリング・助言を聞いてはならない。
2014年8月3日
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