目隠しを取れ
ある時から予知能力がついたのではないかと思う。
数週間前にやった特許庁のロシア語翻訳で、関節炎に関する薬について扱ったが、その時、自分も関節炎になるかもしれないと思った。
1週間ほど前から左手中指の付け根の関節が痛む。
血液検査では異常はないのだが。
14年ほど前に「自分は人生において人に恵まれたので、人から迷惑をかけられて苦労したということがあまりないな」と思った。そして「もしかしてそういう人間と知り合いになって変なことに巻き込まれるかもしれない」と考えたら、実際に現れた。
こういうのはセンスの問題なのだが、クリスチャンで預言の賜物を与えられている人は、そういう事前に察知する能力がある。
賜物とは、教会を建てあげるためのもので、生来のものではない。
クリスチャンになったときに、誰でも与えられる。
ある人は、教える能力を、ある人は、治める能力を。
牧師は、教える能力と治める能力のどちらも必要である。
私は特攻隊長で、開拓者的な賜物であり、維持する賜物はない。
各自、自分にはどのような賜物が与えられているか考えて、それを生かすべきである。
それを生かさなければ、死後、神に「私が与えたミナで、何をしていたのか」と叱責される。
内村鑑三は、『後世の最大遺物』という教えの中で、金を儲ける才能の重要性を強調した。
金がなければ伝道もできないし、教会も運営できない。
人を動かして仕事をさせるにはお金が必要だ。
せっかく再建主義が登場したにもかかわらず、ずっと資金難が続いてきた。
人々がその価値に気付かないためだ。
もし人々の目が開かれるならば、牧師や教団がこぞってわれわれの考え方を採用し、キリスト教界は刷新されるだろう。
リバイバルが起きるだろう。
しかし、サタンはわれわれを兵糧攻めに使用としてきた。
われわれを助ける人々の会社をつぶし、資金難に陥らせてきた。
嘘だと思うならば、本気になって再建主義の活動をしてみたらいいだろう。
様々な問題が起きるだろう。
しかし、この程度の問題でへこたれているようではだめだ。
迫害を経験しないクリスチャンなどありえない。
神の国を作るためには、自分を犠牲にしないと。
神のために苦しまないで地上生涯を終わるなら、いつ苦しむのか。
天に召された後では苦しむこともできない。
経済は重要である。
お金があれば、学校や教会、伝道所、書籍の出版などいろんなことができるだろう。
しかし、人々は目を曇らされているので、人生でもっとも価値の低い部類のものにお金が集まる。
TVのくだらない娯楽とか、プロスポーツとか、演劇、映画とか。
実業と比較すればどれもなくてもいいものである。
農家がいなければ大変困る。商売人がいないとダメだ。物の流通が滞る。トラックの運転手がいなければだめだ。教師がいないと子供の教育ができない。
しかし、こういうなくてはならないものにお金は集まらない。
プロ野球とかサッカーとか、別になくてもやっていける。実際、1993年までプロサッカーリーグは日本になかった。
こういう相対的に必要性が低いものにお金がじゃんじゃん集まって、選手の年俸が億単位にはねあがる。
億のお金を持って、彼らが何をするかというと、それほど重要なことのためには使っていない。
豪華な家に住むとか。高級車を買うとか。
相対的に重要度は低いものに金をかける。
このように、人間は、基本的に人生を無駄に使うものである。
もちろん、プロ野球の選手が悪いとか、芸能人が悪いと言っているわけではないし、高級車を買うことが悪いと言ってるのでもない。
問題は、そういうものよりもはるかに重要なものがあるでしょう、ということだ。
世の中で一番重要なのは思想である。
思想で間違うと、世の中全体が狂う。
たとえば、共産主義を政府が採用するとする。
ソ連では、資本家は邪魔ものだから皆殺しにされた。ブルジョワの思想を持つ人間は真っ先に殺された。
一つの産業につき、会社を一つにした。競争を悪としたので、競争を排除した社会ができた。
傘を作る会社が一つしかないので、粗悪品でも売れた。
努力がまったくないので、ソ連製のものはことごとく粗悪であった。
友人が自転車を買ったら、買ったその日に壊れて使えなくなった。
私も運動靴を買ったが、底のゴムに気泡が入っていないので、重たい。歩くとべたべたと音がする。
私有財産が否定されていたので、レストランの従業員は、仕入れの肉や魚など一番いいものを役得として持って帰った。
思想で間違うとこうなる。
そこで哲学や神学が重要なのだが、人々はそんなものは必要ないと考えている。
大学でも哲学科の倍率は低い。
神学で博士号をとっても、一般社会では重視されない。
この世においてもっとも大切なのは、聖書の教えである。
聖書をどのように解釈するかがもっとも重要である。
神学的な知識は、知識の王様である。
ほかの何も知らなくていいから、神学の知識だけは持つべきである、というくらい重要である。
しかし、これがもっとも軽視される。
そんなものに金を出す人はいない。
世の中は、サタンに騙されている。
価値観が転倒している。
われわれが生きているのは、倒錯した世界なのである。
もしアダムが堕落していなければ、社会では神学が諸学の王様として尊重され、神学者は尊敬されていただろう。
われわれがこのHPで扱っている知識は、絶対に知らなければならないものである。
われわれは、些末な神学的知識を扱っても仕方がないと考えている。
もっとも核心的な知識について扱う。
だから、無数にある教理史の知識の中で、カイパー、ヴァン・ティルからラッシュドゥーニー、ゲイリー・ノースの流れをピックアップしたのである。
これだけが核心である。
世界の中でもっとも重要な知識である。
この流れを抑えなければ、大学教授であろうがノーベル賞研究家であろうが、無知蒙昧の輩である。
世界は神によって創造され、神のために存在するのであるから、聖書の知識こそが最重要の知識である。
その聖書の知識の中でも、教会成長学などは勉強しなくてもいいものである。
いや、勉強するとかえって有害である。
プレ・ミレの終末論なども勉強する値がない。
その他異端の教えはもちろんのこと、神学的知識でもバルトとかリベラルとか知る価値のないものである。
もっとも重要なのは、「われわれは何のために生き、何を基準に評価され、どのような使命を与えられているのか」の知識である。
死後、われわれが神の御前に立つときに、「わたしのためにお前は何をしたのか」と問われる。
これだけである。
ノーベル賞を取ったとか、国民栄誉賞を取ったとか、関係ない。
全部無視される。
神のために何をしたのか、が究極的な問題なのだ。
だから、神のために生きることに集中しなければならない。
神が何を重視しておられるかを理解しなければならない。
そうすれば、なぜ私がラッシュドゥーニーを紹介しているかわかるだろう。
なぜカイパー、ヴァン・ティル、ラッシュドゥーニー、ゲイリー・ノースの流れを紹介しているかわかるだろう。
彼らこそ、神が価値があると見ておられるものに意識を集中している人々だからだ。
1億円かけてビリー・グラハム大会とか開いても、ビリー・グラハム自身がフリーメイソンならばいったい何の価値があるのか。
「イエス・キリストを知らなくても神の民になれる」と述べたビリー・グラハムの教えを伝えるために東京ドームを借り切っていったい何になるのか。
無駄なところに金を使っている。
一億あるなら、優良な図書を翻訳して、本を出版したり、ネットで配信すべきだ。どれだけの本が翻訳できるだろうか。
人々はみな盲目にされている。
価値を見極めることができなくなっている。
そして、無駄なものにお金を使って、神から与えられた財産を散らしている。
サタンは人々が真理に気付かないように、目隠しをしている。
その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。(2コリント4・4)
2012年11月25日
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