生き残りたいなら独占を排除せよ


独占ほど有害なものはない。

石油は莫大な埋蔵量があるので、もし産油国の石油カルテルを崩して市場を自由化したら、ガソリンの価格は暴落するだろう。

価格が暴落しないように、産油国は互いにカルテルを結んで独占状態を作っている。

19世紀までの、独占が排除された自由市場では、不況は好況によるインフレの下で金融商品の売買などによって稼いだあぶく銭の業者と一般労働者の所得格差が縮まるよい機会であり、労働者を巻き込む悲劇にはならなかった。

しかし、20世紀になって独占が進んだ市場において、独占企業は生産削減によって乗り切ろうとし、失業者を生み、その結果不況は社会全体を不幸にするようになった。


市場で価格支配力を持つようになった企業は、必ず異常な高価格−異常に低い損益分岐点で事業を運営するようになる。すると、深刻な不況が予想される場合には、必ずドラスティックな生産削減をする。
そうなると、深刻な不況がやってくるかもしれないという予想は、深刻な不況という現実に転化されてしまう。
「経済論争の核心はここだ−アダム・スミスに学べ」(松田悦佐、NTT出版、237ページ)

それゆえ、われわれは独占を排除する必要がある。

この過程を道徳的なお説教で食い止めることはできない。減産で利益が出ると思ったら減産するのが企業だからだ。だから、価格支配力を持った企業の出現は阻止しなければならないし、出現してしまったらその企業を分割しなければならない。
(同上)

しかし、マルクス主義とケインズ主義によって、現代人は洗脳されており、「多数の企業が乱立すると秩序を失う。エリート主導で業界を少数の企業にまとめ、統制を取る必要がある」との人為的市場誘導が主流になってしまった。

だが、このエリート主導の経済コントロールは失敗したことが明らかになっている。

それでは、1920年代半ば以降どんどん自由な競争にもとづく市場経済を換骨奪胎してきたエリート主義「経済学」の通信簿は、どんな採点になっているだろうか。結果が出るまでずい分長い時間がかかったが、評価としては箸にも棒にもかからない落第点を付けていいだろう。
(同上、208ページ)

ソ連を見たまえ。

今の日本の赤字製造機と化した福祉国家体制を見たまえ。

全部、「われわれのお金をエリートに任せて配分してもらえば社会は幸せになる」という幻想に基づいている。

財務省が予算配分の権限を持つのは、一種の独占だ。

人間が堕落する生き物である限り、このような独占は絶対に失敗する。

アメリカの自動車業界を独占したGMは、お役所体制になり、市場の変化に適応できず滅んだ。

「失業を防ぐためにできるだけ会社は一社に絞るべきだ」との共産主義思想に基づいて計画経済を実践したソ連や東欧諸国は経済的に世界の競争に勝てず、没落した。

独占を許すと、最初はいいかもしれないが、人間の怠惰な性質のゆえに、いずれ自己改革できず、腐っていくのだ。

われわれは次のアダム・スミスの経済学の基本理念に帰るべきだ。

経済の意思決定機能はなるべく広く薄く分散させ、人格も人徳も関係ない市場での売買によって自然に形成される価格と数量で資源が分配されることがもっとも効果的だ。

産油国がこれ以上、独占を続けるならば、代替エネルギーにとって代わられ、もとの貧困なベドウィンの生活に戻ることになるだろう。

 

 

2012年10月12日



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