(1)
黙示録5章10節の日本語訳は誤解を招いている。
彼らをわたしたちの神に仕える王、また、祭司となさったからです。彼らは地上を統治します。 (共同訳)
わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう。(口語訳)
私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。(新改訳)
「地上を」統治すると訳しているが、原文では、「地上で」である。
http://www.greeknewtestament.com/B66C005.htm
βασιλευσουσιν επι τηs γηs
will reign on the earth
前置詞の「επι」は「〜の上で」という意味。
英語訳では、きちんと「地上で治める(reign on the earth)」と訳されている。
And hast made us unto our God kings and priests: and we shall reign on the earth.(キング・ジェームズ訳)
and madest them to be unto our God a kingdom and priests; and they reign upon earth.(ASV)
ただ、ウェイマスとダービー訳が「地上を治める(reign over the earth)」と訳している。
And hast formed them into a Kingdom to be priests to our God, And they reign over the earth.(Weymouth New Testament)
and made them to our God kings and priests; and they shall reign over the earth.(Darby's English Translation)
reign on(upon)は「〜の上で支配する」 reign over は「〜を支配する」。
この5章10節は、以後続くイスラエル及び世界に対する審判に関する記述の前に、クリスチャンに地上の支配権が与えられたことを示す箇所である。
ビザンチン本文に忠実に訳すならば次のようになる。
そして彼らを私たちの神に対し王たち及び祭司たちとされた。だから、私たちは地上で王として支配するだろう。
この主語は9節の「あなたは」、つまり、「ほふられて、その血により、あらゆる部族…の中から、神のために人々を贖」われたイエス・キリストである。
つまり、この箇所は、
イエス・キリストは、贖われた人々(つまり、クリスチャン)を、神に対し王たち及び祭司たちとされたので、クリスチャンは地上で支配するだろう
という意味である。
ここで、「地上で」という句は重要である。なぜならば、無千年王国説を排除できるからである。
無千年王国説では、千年王国において「天上のクリスチャンは支配者だが、地上のクリスチャンはそうではない」と考えるからである。
(無千年王国説は、)キリストが最後の審判の前に文字通り地上に王国を作るわけではなく、それはあくまでも霊的・天的な存在である、と考えている。…聖書において、キリストの御国を千年間の王国であると限定している個所は、黙示録20章しかないが、ここでは、千年の間、「たましい」がキリストと共に支配していると言われている。無千年王国論者は、それを、天において肉体を離れた霊魂が千年間キリストと共に霊的に支配する と解釈する。(無千年王国論者フロイド・E・ハミルトン"The Basis of Millennial Faith"(pp.35-37(1942))
http://www.millnm.net/qanda/amill2.htm
「天において肉体を離れた霊魂が千年間キリストと共に霊的に支配する」のであるから、無千年王国説に従えば、この地上歴史の中でクリスチャンが物質的・制度的に勝利できるかどうかは不明だということになる。
だから、無千年王国説が支配する今のカルヴァン派に力はないのである。
聖書ははっきりと、クリスチャンは「地上で」支配すると示している。
この地上を歩むクリスチャンがこの世界の支配者になるのである。
(2)
「そして彼らを私たちの神に対し王たち及び祭司たちとされた。だから、私たちは地上で王として支配するだろう」
ここで、前文は過去時制で、後文は未来時制である。
つまり、「私たちは王と祭司になった」という過去があるから、「王として支配する」という未来がある。
これは、法的事実と実際的事実の区別を示している。
聖書は「法的立場の確立が、現実の変革の根拠である」と繰り返し主張している。
ヨシュアに対して神は「私はあなたにカナンの土地を与えた。だから行って征服しなさい」と言われた。これはアブラハムにも言われた。
聖書に繰り返して出てくるパターン:
1.神は、契約の民に対して、まず約束をお与えになる。
2.そして、その根拠に、実現を予言される。
3.契約の民には、その約束を信じて行動するかどうかが責任として問われる。
黙示録5:10において、神は、われわれに「あなたがたは王であり祭司なのだから、『地上で』支配できる」と宣言された。
だから、われわれに残されたのは、その約束を信じて、実際に「地上で」支配することである。
(3)
無千年王国説は、「地上で」支配せよとの命令を無視するので、重大な罪である。
「いやあ、この世界をクリスチャンが地上で支配できる?現実を見てくださいよ。支配はあくまでも霊的なものです。地上の制度的改革、政治や経済におけるリーダーシップなどは不可能です。」というのが今のカルヴァン派の主流の立場である。
不信仰を払拭しない限り、カルヴァン派は生き残れない。
クリスチャンは、現実を変革できる。
キリストにあって、御心を行い、この世界を神の国にすることができる。
前千年王国説は、「キリストの再臨があってはじめて地上で支配できるが、再臨前はクリスチャンは無力である」と説く。
無千年王国説も前千年王国説も不信仰の体系である。
こんな教えに力があるはずがない。
われわれは、後千年王国説を採用し、今、地上で支配せよ、と唱える。