誰を恐れるべきかもう一度確認しよう
今の福音派などクリスチャン諸派は、なぜ韓国人びいきなのか。
徐々に明らかになりつつあるように、国民性としては圧倒的に日本人のほうが優秀で、誠実、まじめである。
日本人はいくら相手が憎くても、小学生に対して韓国の反日教育のようなものはしない。
慰安婦問題において顕著になっているように、証拠も何もないのに一方的に罪を着せて、話を膨らませ、極度にわれわれのことを悪く宣伝し、しまいには外国に銅像まで作る。
このような道徳的に問題のある民族を評価し、まじめに戦後こつこつと働いてきた日本人をけなす今の教会は、完全に価値観が逆転している。
行動が白黒逆転する現象は、まず心において逆転が起こっていることのしるしである。
心はどうやって逆転するのか。
偶像礼拝が原因である。
偶像礼拝とは、人間よりも価値の低いもの、木とか石などを、人間よりも重んじて崇拝することである。
4や13などの特定の数字を恐れること、石などに運気を上げるパワーがあると考えたり、日柄を気にしたり、人の評判を恐れ、世間体を気にすること、これらはすべて偶像礼拝である。
われわれが恐れるべきは、神お一人である。
人間は、被造物の頂点にあるものとして作られたのであり、神の次に権力のあるものとして存在している。
その第2の権力者であるわれわれが、どうしてそれ以下のものを恐れる必要があるだろうか。
人間は神に「地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ」と命令された。
われわれは、被造物を支配する立場にある。
だから、それらをわれわれの上に置いてはならない。
偶像礼拝は、この序列を逆転させる。
それはまず心において始まる。
心の中で「われわれよりも月や星の運動のほうが強い」と信じるから、「運」を信じる。
われわれは、現状がわれわれよりも強いならば、それを変える努力をしなければならない。あきらめたり、運命と決めつけることは、偶像礼拝である。
たしかにライオンや虎はわれわれよりも物理的な力は強いが、われわれには知恵があり、それらを支配する能力がある。
心において「私はだめだ。やっても無駄だ」と思って、運命に翻弄される道を取るならば、それは、偶像礼拝であって、最悪の罪である。
われわれは「神がわれわれとともにおられ、われわれを支配者として支えてくださる」と信じなければならない。
神に対する不信があるならば、それはわれわれから力を奪うので、その運命どおりの結末を迎える。
韓国人の事大主義、つまり、正義によって行動するのではなく、常に強い側にすり寄ろうとする民族性は、神への不信に由来する。
それは、儒教から来るのかもしれない。
人を恐れる教育を続けるならば、弱い民族が生れてもしかたがない。
神を恐れる人はあきらめない。正義が勝つと信じて、被造物に救いを求めない。
在日朝鮮人に支配されている芸能界は、この民族の行動様式を反映している。
先輩後輩の区別が異様に尊ばれる。
もちろん、クリスチャンも年長者や経験の長い人々を尊重すべきである。しかし、恐れてはならない。
今のTVは韓国朝鮮系のタレントとオカマや同性愛者に支配されているように見える。
だから、見てもためにならない。
どちらも、心の中が逆転しており、恐れなくていいものを恐れ、恐れるべき神を恐れない。
韓国人を尊重する今の教会も、心の中で逆転が起こっているのであり、偶像を礼拝している。
聖書よりも教勢、聖書よりも人間関係、聖書よりもイルミナティが作ったプレ・ミレ終末論・・・
こういう選択をしている以上、良い影響を与えることはないから、次第に衰微している。
誰を恐れるべきかもう一度確認しよう。
2013年8月15日
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