ミトロヒン文書


ミトロヒン文書というものがある。


1992年に旧ソビエト連邦からイギリスに亡命した元ソ連国家保安委員会(KGB)の幹部要員であったワシリー・ミトロヒンが密かにソ連から持ち出した機密文書のことである。25,000ページにわたる膨大な文書はMI6の協力を得てイギリスに持ち出され、ケンブリッジ大学のインテリジェンス歴史研究家であるクリストファー・アンドリューも分析に参加し、「Mitrokhin Archives I」[1]「Mitrokhin Archives II」[2]という書籍にまとめられ出版されている。その中では旧ソ連KGBが西側諸国に対して行っていた諜報活動が細かに記載されている。
(Wikipedia―ミトロヒン文書)

この文書によると、日本の大手新聞社にはKGBの工作員がいて、世論工作を行っていたという。

ミトロヒン文書によると、『日本人は世界で最も熱心に新聞を読む国民性』とされており、『中央部はセンター日本社会党の機関誌で発表するよりも、主要新聞で発表する方がインパクトが大きいと考えていた』とされている。そのため、日本の大手主要新聞への諜報活動が世論工作に利用された。

冷戦のさなかの1970年代、KGBは日本の大手新聞社内部にも工作員を潜入させていたことが記されている。文書内で少なくとも5人は名前が挙がっている。
1.朝日新聞の社員、暗号名「BLYUM」
2.読売新聞の社員、暗号名「SEMYON」
3.産経新聞の社員、暗号名「KARL(またはKARLOV)」
4.東京新聞の社員、暗号名「FUDZIE」
5.日本の主要紙(社名不詳)の政治部の上席記者、暗号名「ODEKI」

中でも朝日新聞社の「BLYUM」については


「日本の最大手の新聞、朝日新聞にはKGBは大きな影響力を持っている」

としるされており、「BLYUM」が同社内で重要なポストにいた人間か、または複数名の同志がいたことをうかがわせる。[3]


「1972年の秋までには、東京の「LINE PR」(内部諜報組織)の駐在員は31人のエージェントを抱え、24件の秘密保持契約を締結していた。特に日本人には世界で最も熱心に新聞を読む国民性があり、KGBが偽の統計情報等を新聞に流すことにより、中央部はソビエトの政治的リーダーシップに対する印象を植え付けようとした。」[2]

とあり、日本の主要メディアに数十人クラスの工作員を抱えていたことが記されている。

工作員となった新聞社員のミッションは『日本国民のソ連に対する国民意識を肯定化しよう』とするものであった。例えば、日本の漁船が拿捕され、人質が解放されるとき、それが明白に不当な拿捕であったのにもかかわらず朝日新聞は


「ソ連は本日、ソビエト領海違反の疑いで拘束された日本人漁師49人全員を解放する、と発表した」[2]

と肯定的な報道をさせた、とされている。朝日新聞だけでなく保守系と目される産経新聞にもその工作は及んでいた。


「最も重要であったのは、保守系の日刊紙、産経新聞の編集局次長で顧問であった山根卓二(暗号名「KANT」)である。レフチェンコ氏によると、山根氏は巧みに反ソビエトや反中国のナショナリズムに対して親ソビエト思想を隠しながら、東京の駐在員に対して強い影響を与えるエージェントであった。」[2]

また、日米関係の離間を狙う世論工作も行われた。特に1960年代にはベトナム戦争反対の世論形成を行った[4]
(Wikipedia―ミトロヒン文書)

日本の経済が発展しないように破壊工作も行われたようだ。
http://www.youtube.com/watch?v=yBxmSo6mpl0

公共事業談合、政治家の利権など、公共事業に負のイメージを着せるためにマスメディアが活躍した。

「公共事業と利権」という言葉が大手新聞5社に出てくる回数は、1993年からそれ以前と比較して7倍に増える。
http://www.millnm.net/qanda4/koukyoujigyouriken.jpg

1993年はジャパン・バッシングが始まった年。

この年以降、規制緩和の圧力が始まった。公正取引委員会の強化。建設産業を潰しにかかった。

ここから、日本の成長に建設産業がどれほど大きく貢献しているかがわかる。

また、ユダヤ人の陰謀に関してもデマ情報を流したのはKGBだという。

http://www.melma.com/backnumber_45206_4434068/

(読者の声1)下記は貴誌第2535号で触れた、『ワールド・インテリジェンス』Vol.8掲載記事の引用(175〜6ページ)。
http://gunken.jp/blog/archives/2007/09/12_1100.php
(引用)
『ミトロヒン文書』1・2巻を通して最も読み応えがあり、衝撃的であったものが、KGBの破壊工作である。通常、諜報機関の秘密工作は表に出ない。たとえ表に出ても、それはほんの一部である。なぜなら、それを隠匿するためにプロパガンダ(偽情報の配布)などが複雑に絡み合い、詳細な詮索ができずに陰謀説のようなストーリーに仕立て上げられるのが常であったからだ。しかし、ミトロヒン文書によって、KGBの破壊工作のテクニックが明らかになった。これはKGBが諜報活動のなかでも最も得意とした分野であり、その破壊工作とは暗殺、プロパガンダ、公文書などの偽造工作等、幅広いものであったが、とくに偽情報の伝達、いわゆるプロパガンダの手法は高度であり、そのテクニックは社会への浸透と並んで世界でも類のない秀でたものであった。第2次世界大戦後、つまり冷戦時のソ連最大の敵は米国となり、したがってプロパガンダの主体となる標的も当然米国となった。ソ連は、米国が掲げる自由民主主義思想からくるオープンな社会風潮を逆手に取り、メディアの規制が無かったその社会で、米国にとって不利となり得る情報を利用しながら、KGBの破壊工作の格好の場としたのである。(中略)いまだに信じられている別の例として、ディアスポラによって世界に拡散された「ユダヤ人が裏で世界を牛耳っている」というユダヤ人陰謀説が挙げられる。ミトロヒン文書が明らかにするように、ユダヤ人陰謀説は世界中に広がり、KGBのプロパガンダの中でも最も成功した1つでもある。もちろん、反ユダヤ反シオニズム運動はソ連の建国以前まで遡るが、ユダヤ人が世界を裏で牛耳っているという陰謀説と国外へ拡張していく米国の資本主義は共通点があり、社会的に影響力があるユダヤ人コミュニティーをもつ米外交にとっては大きな不安材料となった。とくに反イスラエル感情が強い中東において、米外交にとって不利な要素となり、米国とユダヤ人を連結させることによって反米感情を高めた。現在でも「ユダヤ人の秘密結社であるフリーメーソンが世界を搾取している」という発想は、KGBの破壊工作の結果でもある。以上、典型的な陰謀説とされる極端な2例を挙げたが、ミトロヒン文書が真実を明らかにしなければ、いつまでも陰謀説や怪奇事件として信じ込まれていたであろう。(引用終わり)

これについてはどうかと思う。

なぜならば、ロスチャイルドのイルミナティは、米ドル札を見てもわかるように、明白に陰謀を行っているからである。

逆に、ミトロヒン文書が、ユダヤの陰謀を消すために意図的に流された文書ではないかとの疑いも起きてくる。

 

 

2013年1月3日



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