アルミニウス主義とイエズス会1
以下、『アルミニウス主義:ローマ・カトリックへの回帰』 by オーガスタス・トップレディ(1740 - 1778年)の翻訳:
アルミニウス主義の故郷はローマである
しかし、そのあら捜しがいかに軽薄なものであったとしても、彼が主張する教理は、その性質と傾向において、きわめて有害である。私は、すでに彼を大いに怒らせたであろう次の点を繰り返して言わねばならない。すなわち、アルミニウス主義は「ローマを起源とし、そこに回帰しつつある」と。現代におけるペラギウスの弟子であるエクラノの司教ユリアヌスは、この異端派の教理を見栄えよく、美味しそうに見せるために、大いに技巧を凝らし、粉飾に努力した人々の一人であった。このように装飾を施され、穏健化されたペラギウスの教義体系は、しばらくして半ペラギウス主義といったソフトな名前で呼ばれるようになった。ここで、有名なバウワー氏の解説に耳を傾けてみよう。氏は、自身がペラギウス主義の教義の大部分を認める信奉者であるため、氏が一般的に是認するこの体系を否定的に描き出す可能性は低い。この学者は、この教派の教義の中から次の点を挙げている。
「選びと遺棄が人間の功績や罪とは無関係に行われるとの考えは、依然として致命的な必然と見なされており、すべての美徳を破壊している。それはもっぱら、善良な人々を怠惰にし、自らの救済への努力を妨害する反面、罪人を絶望に追いやっている。」
「選びと遺棄の判決は、永遠の昔に神によって予見されたわれわれの善行と悪行の後に、その結果として下される。」5
「イエズス会は、これら2つの最後の命題の上にその恵みと自由意志の全教義体系を打ち立て、その教義体系の中で、半ペラギウス主義に同意し、ヤンセン主義者と聖アウグスティヌスに反対した。」6
2018年5月9日
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