聖書的な社会において不倫者は処刑される


遊女はひとかたまりのパンで買えるが、人妻は尊いいのちをあさるからだ。(箴言6・26)

聖書を真剣に読んでいる人で、不倫をする人はいない。

なぜならば、他人の妻は、夫との間に「夫婦契約」を結んでいるからだ。

この人間の基本的な契約関係を破壊する行為は、「尊いいのち」を奪う。

つまり、不倫は死に直結している。

神は人間を「男と女」に創造され、それを「神に似たもの」であると言われた。

つまり、「夫婦関係」は「神の象徴」である。

神が複数の人格が契約で結ばれて一人となっているように、夫婦も契約によって結ばれて一人である。

不倫は、この似姿の破壊であり、神への直接的な攻撃である。

殺人は神の似姿として造られた人間の命を奪う行為であり、それを神は「自分に対する殺害」とみなされる。

自分の写真につばをかける行為が、本人への侮辱にあたるように、似姿である人間に対する攻撃や侮辱を、神はご自身に対する攻撃や侮辱ととらえ給う。

殺人者は、「神を殺す者」とみなされるのである。

不倫は、神の三位一体の関係を破壊する行為であり、それゆえ殺人と並ぶ最大級の犯罪である。

殺人者と不倫者に対する刑罰は、それゆえ、死刑以外ではありえない。

聖書的な社会において、この両者は、処刑される。

 

 

2018年9月27日



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