日本は江戸時代にすでに世界有数の経済大国だった


”…日本が当時も世界有数の経済大国だったことです。 「そんな馬鹿な、日本は国土も狭く、明治維新までずっと貧乏国だったと聞いていたぞ」と疑う向きが、諸兄姉の中にも少なくないでしょうが、どうか拙著『金融ワン ワールド』(成甲書房)を繙(ひもと)いてください。

淀屋辰五郎はもとより、紀伊国屋文左衛門、太鼓屋又兵衛、小谷検校など江戸時代の富豪は、欧州富豪に先んじて世界経済史に登場しますが、その資産はナポレオン戦争で巨利を博する前のロスチャイルド家のそれを遥かに凌駕していました。淀屋辰五郎は、欧州随一の富豪と讚えられたヘッセン侯に先行して、ヘッセン侯をしのぐ資産を築いていました。

淀屋の富は、江戸時代の日本に成立した近代的市場取引・金融制度によって合法的に獲得したもので、年貢のごとく封建的権力による農奴の搾取や植民地経営のごとく暴力的手段を用いた異民族の搾取によるものではありません。江戸初期の日本では幕府勘定奉行荻原重秀が世界に先駆けて「公信力の原理」を発見して信用通貨制へ一歩踏み出しており、また淀屋辰五郎が「先物取引制度」を発明して、世界最初の先物市場「堂島米市場」を開設しています。

経済規模の大きさや経済制度の近代性だけではなく、日本社会の科学水準と道徳水準の高さは、日本を観察しに来た西欧人たちを驚倒させました。ただ神仏混淆の多神教信仰だけは、天啓一神教しか知らない彼徒の理解を超えていたゆえに、ヨーロッパ人はキリシタン禁制のわが国是に違和感を抱き、これをもって日本の後進性と見なしたのです。その心理は、おそらく欧州人の胸の奥底に今も残っていると思われます。”(落合莞爾『南北朝こそ日本の機密』(成甲書房)、23-24ページ)

 

 

2015年12月2日



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