信仰が強くなればなるほど、復讐願望は減る
「悪に報いてやろう」と言ってはならない。主を待ち望め。主があなたを救われる。(箴言20・22)
悪を行われて被害に遭った場合、こちらも悪で報いると、公平な神は相手だけではなく、悪を行った自分をも裁かれる。
悪に対しては善で返せと教えられている。
だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。
もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。
悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(ローマ12・17, 20-21)
ポイント制で考えると:
悪を行われて被害に遭った・・・マイナス1ポイント
悪で報いたため神に裁かれた・・・マイナス1ポイント
合計=マイナス2ポイント
悪に対して悪で報いると、自分にとって2倍の損である。
もちろん、相手が行った悪よりも悪いことをした場合、2倍以上の損になる。
たとえば、1万円の盗難の被害にあった場合、それを1ポイントとすると、復讐で相手の2万円のものを盗んだ場合、2ポイント分の刑罰。
合計で3ポイントの損。
聖書の教えのとおりに、善をもって相手に報いると:
悪を行われて被害に遭った・・・マイナス1ポイント
善で報いたため神に祝福された・・・プラス100ポイント
合計で99ポイントの得。
なぜ100ポイントかというと、祝福の原理は百倍だから。
イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、
その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。(マルコ10・29-30)
「悪に悪を報いる」よりも「悪に善を報いる」ことのほうが利益がある。
「神が祝福してくれるかどうかわからないから復讐したほうがいい」という人は、霊的な世界の現実を知らない。
神の祝福がどのように素晴らしいものであるか知らないし、神の呪いがどれくらい恐ろしいものであるか知らない。
つまり、盲目なのである。
祝福と呪いは、即座に下るとは限らない。
長い年月を待つ必要があるかもしれない。
しかし、神に訓練された人は、それが確実に来ると体験的に知っている。
だから、相手との関わりの中で、自分の側が罪を犯すことがないように、細心の注意を払う。
悪を行われたときに「あ、神に委ねよう。神が相手に復讐してくださるだろう」とすぐに忘れることができるようになれば、素晴らしい段階に達したと言える。
信仰が強くなればなるほど、復讐願望は減る。
2019年4月26日
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