アブラハム・カイパー(1837年〜1920年)3
もちろんノンクリスチャンの科学者は、キリスト教の神を自らの科学的な研究の基礎として受け入れることはないだろう。そのため、2種類の科学の間には「対立関係antithesis」がある。クリスチャンの科学者たちは、自らの研究を聖書に基づき、神の栄光のために行おうとするが、ノンクリスチャンの科学者たちは、そのような方法論をあらゆる手段を尽くして回避する。
それでは、クリスチャンとノンクリスチャンが科学的な研究において協力することは不可能なのであろうか。カイパーは、それは可能であると言った。しかし、対立関係に関する彼の見解に制限があるため、これがなぜ可能であるのかの理由とどのように可能になるのかの方法を示すのは難しいと考えていた。カイパーは「『形式的な信仰』とは、クリスチャンとノンクリスチャンが共有するものである」という。すなわち、それは、我々の感覚の信頼性や論理の自明性、科学的な法則の普遍性について確信させるものなのである。しかし、カイパーによれば、「形式的な信仰」は救いをもたらすものではなく、さらに、真の神に対する信仰でもない。事実、それにはいかなる「内容」もない。そのため彼はクリスチャンとノンクリスチャンは、自然科学においては共通の基盤を持つが、霊的な科学においてはそれを持たないと考えた。両者は物の重さを図ったり、大きさを測る場合には合意できるが、神の性質については見解を同じくすることがない。
コーネリアス・ヴァン・ティルによれば、カイパーは、ここで自己矛盾に陥っていた。というのも、カイパーは、別の場所でカルヴァンに倣い「人間は常にあらゆる事実において、神と直面している」と述べていたからである。しかし、当然のことながら、直面の中には「ノンクリスチャンも不本意ながら、感覚の信頼性や、論理の自明性、そして科学的法則の普遍性―これらは、キリスト教の世界観においてのみ合理性を持つ原則である―を認めなければならない場合」も存在する。「形式的な信仰」は、確かにこの直面を表す名前としては最善では無い。というのも、それは、内容が充実しており、さらに、真の神との直面であるからでもある。しかし、後に見る通り、ヴァン・ティルはカイパーのように「対立関係」の定義に困難を感じていた。
カイパーは、科学においてクリスチャンとノンクリスチャンがどのように協力できるかに関して納得の行く答えを得ることができなかったが、可能性については確信を持っていた。さらに、クリスチャンとノンクリスチャンは確かに協力することができ、また、この能力は、神の一般恩恵―神の非選民に対する非救済的な行為―に由来すると考えていた。それゆえ、カイパーは一般恩恵というテーマで、さらに3巻の著作を著した。
John M. Frame, "A History of Western Philosophy and Theology", P&R, pp.513-517.
2016年12月12日
ホーム