イルミナティの駒としての北朝人脈


今TVで活躍している旧皇族のKT氏は、伏見宮家の分家KT宮家の末裔で北朝である。(*)


室町時代初期に天皇家から分かれた世襲親王家・伏見宮家の分家の一つであるKT宮家の末裔。曽祖父にあたる初代KT宮が明治天皇の娘を娶っており、女系では明治天皇の玄孫にあたる。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E7%AB%B9%E7%94%B0%E6%81%92%E6%B3%B0

ただし、明治天皇の血を引いているので、一部南朝でもある。

KT家は、ブッシュ一族と家族ぐるみの付き合いをしている。

すでに述べたように、KT氏の祖父は、イルミナティの傀儡としてアジアで金塊を集めて、それをフィリピンなどに秘匿したと言われている。

高橋五郎著『天皇の金塊』を読んでいる。

あのTVによく出ている元慶應義塾大学憲法学講師KT恒泰氏は、陸軍中佐KT宮恒徳氏の孫である。

KT宮氏は、日本軍がアジア12か国で略奪した金塊などを隠したフィリピンの山奥で最後まで生き残った人物であるという。

フィリピン全域に175か所地下貯蔵サイトを設け、それぞれ責任者には陸軍の将官がついた。

それぞれのサイトは出入り口を爆破して、1945年6月1日最後に残った8号サイトにその175人の将官全員が集合した。

その出入り口も爆破したのだが、175名の将官全員は、生き埋めにされて死んだ。

口封じのために消されたのだ。

爆発直前に地下倉庫からエレベーターで地上に戻り、地鳴りを感じながら山道を足早に去る3人の男たちがいた。

そのうちの一人がKT宮であった。残りの2人は、山下奉文大将と、フィリピン人ベン・バルモス・ハーミン。

山下は戦犯として処刑され、この証言はハーミンによるものである。2003年発刊の著書『ゴールド・ウォリアス―山下財宝のアメリカ秘密回収』(未邦訳)でハーミンの証言を公開したのは、アメリカ人報道作家スターリングとペギーのシーグレーヴ夫妻たち。
http://www.millnm.net/qanda4/20NIaEbciKTg33316.htm

北朝と組んだ足利義満は、皇位簒奪をたくらんだ人間である。

足利義満以降、将軍が、イスラエル南北朝の正統な統一王としての天皇の血筋ではない人間と手を組んで日本は本来の姿を失っていたのではないか。

そしてこの背神の流れは、北朝人脈を通じて残っているのかもしれない。

イルミナティは国民国家の支配のために、その主流派を憎む人々、マイノリティとして差別されている人々を傀儡として選ぶようだ。

今の日本は、在日によるマスコミ・政界・財界支配によって、イルミナティの傀儡国家となってしまった。

このイルミナティの走狗の一部に北朝人脈があるのではないだろうか。

戦前から、イルミナティは、明治維新で南朝の天皇が立ったことに腹を立てている北朝の人々をリクルートして、亡国への道を進ませたのかもしれない。

ロスチャイルドは、北朝人脈を利用したらしい。
http://www.mkmogura.com/blog/tag/%E8%A5%BF%E5%9C%92%E5%AF%BA%E5%85%AC%E6%9C%9B

すでに述べたように、日本を亡国に導いた主要な二人、近衛文麿と伏見宮博恭王は、北朝。

ヨハンセングループを指揮した吉田茂は、北朝。

近衛もこのグループにいて、終戦を早める工作をしていた。

戦前、近衛と同様に吉田も対中国強硬派であったにもかかわらず、戦中は反戦派に回っている。

サタンが、悪事をそそのかしてやらせて、その責任を厳しく追及するのと似ている。

ヨハンセングループは、原爆投下の事実を事前に知っていた。

戦時中に密かにアメリカと内通していたヨハンセン・グループ(牧野伸顕・吉田茂・樺山愛輔・白洲次郎・岡田啓介・米内光政等)が原爆投下の情報を事前に知っていた事が米機密文書の公開で明らかになっている。・・・
戦時下で敵国に通じていた彼等は、当然のことながら、ことごとく戦犯指定を免れ、戦後、高位に上りつめた者や、樺山の如くは初代日米協会会長に就任している。
http://home-and-human-navi.blog.ocn.ne.jp/genki100/2008/08/post_9db1.html

東久邇宮内閣はフリーメーソンで、北朝。

開戦及び敗戦工作が、イルミナティ・アメリカ及びソ連と通じていた北朝人脈を通じて行われた。

正義の味方アメリカ対邪悪な日本の対立構造は、意図的に作られたものであり、アメリカ及びそれを継ぐ現地傀儡としての在日及び北朝人脈による日本支配は、イルミナティの主導によって計画的に進められてきた。

(*)

伏見宮は、北朝である。

伏見宮(ふしみのみや)は、かつてあった日本の宮家の一つ。宮家御紋は伏見宮十四裏菊。世襲親王家の4家の中では最も歴史が古く、持明院統の嫡流で北朝の崇光天皇の第一皇子栄仁親王を初代とする。(Wikipedia――伏見宮)

 

 

2014年11月15日



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