聖霊のバプテスマについて2


「聖霊のバプテスマについて」で次のように述べた。


人は信仰に入ると、必ず聖霊を受けます。これが、聖霊のバプテスマです。

ですから、信仰に入ったのに聖霊のバプテスマを受けていないということは、ありえないのです。

それを、信仰とは別の何か特別な現象であると考えることはできません。

これについてさらに説明する。

というのも、聖霊のバプテスマを信仰と別の現象として扱う考え方があり、それがキリスト教の内部において分派を起こし、プライドの種となっているからである。

つまり「聖霊のバプテスマを受けた信者」と「受けていない信者」を区別する考え方である。

使徒の働き8章から、異邦人が信仰に入る様子が記されている。

まずサマリヤ人が救われる。

他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。
ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。
群衆はピリポの話を聞き、その行なっていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。
さて、エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところへ遣わした。
ふたりは下って行って、人々が聖霊を受けるように祈った。
彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊がまだだれにも下っておられなかったからである。
ふたりが彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。(使徒の働き8・4-6, 14-17)

なぜペテロとヨハネが遣わされたのか。

ペテロには「御国の門の鍵」が与えられていたからだ。

「…わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」(マタイ16・19)

サマリヤ人が信仰に入って水のバプテスマを受けても聖霊が下らなかったのは、正式に御国の門の鍵が開けられていなかったからである。(*)

ペテロが祈るとそれが開けられ、聖霊が下った。

サマリヤ人は、イスラエルの北王国がアッシリア人に占領された後に,サマリヤに住んだ人々で、純血のユダヤ人ではなく、異邦人アッシリア人との混血であった。

そのため、「半異邦人」とみなされていた。

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒の働き1・8)

イエスは、福音がエルサレム→ユダヤ→サマリヤの全土→地の果てという順番に伝えられると暗示された。

つまり、まず「純血の契約の民」であるユダヤ人、その次に「半契約の民」または「半異邦人」であるサマリヤ人、そして「契約外の民」または「異邦人」であるその他の民族の順番である。

サマリヤに福音が届き、「半異邦人」であるサマリヤ人が聖霊を受けた。

次は、「地の果て」つまり「本格的な異邦人」である。

ペテロは、夢の中で「汚れた動物を食べよ」との命令を受ける(使徒の働き10・3-16)。

これは、新約時代になってもはやユダヤ人と異邦人の区別が撤廃されたという意味である。

その証拠に、すぐにローマ人コルネリオの話が出てくる。

さて、カイザリヤにコルネリオという人がいて、イタリヤ隊という部隊の百人隊長であった。
彼は敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていたが、
ある日の午後三時ごろ、幻の中で、はっきりと神の御使いを見た。御使いは彼のところに来て、「コルネリオ」と呼んだ。
彼は、御使いを見つめていると、恐ろしくなって、「主よ。何でしょうか」と答えた。すると御使いはこう言った。「あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って、覚えられています。
さあ今、ヨッパに人をやって、シモンという人を招きなさい。彼の名はペテロとも呼ばれています。...
ペテロが、いま見た幻はいったいどういうことだろう、と思い惑っていると、ちょうどそのとき、コルネリオから遣わされた人たちが、シモンの家をたずね当てて、その門口に立っていた。
そして、声をかけて、ペテロと呼ばれるシモンという人がここに泊まっているだろうかと尋ねていた。
ペテロが幻について思い巡らしているとき、御霊が彼にこう言われた。「見なさい。三人の人があなたをたずねて来ています。
さあ、下に降りて行って、ためらわずに、彼らといっしょに行きなさい。彼らを遣わしたのはわたしです。」
そこでペテロは、その人たちのところへ降りて行って、こう言った。「あなたがたのたずねているペテロは、私です。どんなご用でおいでになったのですか。」
すると彼らはこう言った。「百人隊長コルネリオという正しい人で、神を恐れかしこみ、ユダヤの全国民に評判の良い人が、あなたを自分の家にお招きして、あなたからお話を聞くように、聖なる御使いによって示されました。」
それで、ペテロは、彼らを中に入れて泊まらせた。明くる日、ペテロは、立って彼らといっしょに出かけた。ヨッパの兄弟たちも数人同行した。(使徒の働き10・1-5,17-23)

ペテロがコルネリオたちに福音を伝えると、彼らも信じた。

ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。
割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。
彼らが異言を話し、神を賛美するのを聞いたからである。そこでペテロはこう言った。 「この人たちは、私たちと同じように、聖霊を受けたのですから、いったいだれが、水をさし止めて、この人たちにバプテスマを受けさせないようにすることができましょうか。」
そして、イエス・キリストの御名によってバプテスマを受けるように彼らに命じた。彼らは、ペテロに数日間滞在するように願った。(使徒の働き10・44-48)

ペテロによって異邦人にも御国の門が開かれたのである。

だから、聖霊が下ったのだ。

サマリヤ人と異邦人に御国の門が開かれたので、これ以降、信仰と聖霊のバプテスマの時間差を示す個所は聖書にはない。(**)

つまり、まとめるとこういうことである。

イエスはペテロに御国の門の鍵を与えられた。



福音を伝え、信仰に入る人が現れた。



ペテロが行って御国の門の鍵を開けた。



ユダヤ人→サマリヤ人→異邦人の順番に聖霊が下った。



これ以降、信仰に入った人すべてに聖霊が下るようになった。

したがって、今日、すでに御国の門は万人に開かれているので、信仰に入ること、すなわち、聖霊のバプテスマである。

聖霊のバプテスマを信仰によって与えられる聖霊の臨在と何か別個の特別な体験と考えることはできない。

(*)
ペテロは、使徒の働き2章においてユダヤ人に御国の門を開いたので、ペンテコステの日に御霊がユダヤ人に下った。

(**)
では、使徒の働き19章のエペソの弟子たちがパウロの按手によって聖霊を受けたのはどうなのかという人がいるかもしれない。

アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、 「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした」と答えた。
「では、どんなバプテスマを受けたのですか」と言うと、「ヨハネのバプテスマです」と答えた。
そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです」と言った。
これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。
パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。(使徒の働き19・1-6)

彼らはヨハネのバプテスマしか受けていなかった。

「イエス・キリストの名によってバプテスマを受け」ていなかった。

つまり、イエス・キリストへの信仰によって聖霊を受けた。

そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。(使徒の働き2・38)

これは、イエス・キリストへの信仰の後に与えられる特殊な「聖霊のバプテスマ」の例ではない。

 

 

2016年1月11日



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