トマス・アキナスは「偉大な」神学者だった?2
トマス・アクィナスは、哲学は神学の探求を助けるべきであるという立場から、アリストテレス哲学をキリスト教神学と折衷して、スコラ哲学の体系を完成した。
トマスは信仰と理性の衝突を避ける近代的な合理的思想の枠組みを作って、自然科学が発展する基礎を築いた。
http://www.christiantoday.co.jp/articles/18621/20160118/kagaku-no-honshitsu-25.htm
きよい人々には、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた、不信仰な人々には、何一つきよいものはありません。それどころか、その知性と良心までも汚れています。(テトス1・15)
彼らは、その知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています(エペ4・18)
私たちは神から出た者です。神を知っている者は、私たちの言うことに耳を傾け、神から出ていない者は、私たちの言うことに耳を貸しません。私たちはこれで真理の霊と偽りの霊とを見分けます。(1ヨハネ4・6)
神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。(ヘブル4・12)
人間は自律的な存在なので、自由意志を通じて自然法を守らねばならない。
自然法は、自立した理性の産物である。
人間の法は、自然法から導き出される…実定法である。
人間の法の道徳的な有効性を決定するのは、自然法と人間の法の間の相関関係である。
神の法、つまり恵みの法は、神が旧約聖書と新約聖書、モーセ法、十戒、教会教義を通じて人間に啓示された永遠の法の一部である。
神の法は、自然理性が発見したものではなく、むしろ、賜物である。
啓示は、理性に追加するが、それを覆さない。
神の法は、自然法を補完し、人間が誤った解釈を行った場合にそれを修正するものである。
神の法は必要である。というのも、自然法では人間をその超越的な目的に導くことができないからである。
http://www.quebecoislibre.org/06/060122-5.htm
「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」(創世記3・1)
2016年1月26日
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