1.
学歴とか肩書というものは、「人を見抜けないシロウト」のためのもので、人を見抜ける力のある人にとってはどうでもいいもの。
たとえば、東大卒であるかないか、にこだわるとか。
東大卒の官僚とたくさん仕事してきました。
英語のwith + 名 + 分詞(付帯状況)の用法(*)を知らない人がいました。
地震の専門部署なのに「aseismic」という言葉を知らない人がいました。(**)
こういう単純な知識がない人でも国を動かせるのか、と驚きました。
神学のPh.Dをもっていても、何も知らない人もいる。
結局、肩書よりも、学校を卒業した後にどれだけ問題意識を持って自覚的に努力したかが重要で、そういう努力をしなければ「お飾り」でしかない。
人を見抜く力のない人間は、肩書に頼る。
それだけで人を判断し、ついていき、結局、裏切られ、周囲の人に迷惑をかける。
世の中のことを何も知らない高校生や受験生ならともかく、いい大人になってまで「どこ大卒」「どこ神学校卒」かにこだわっているような人間は、主体性がなく、依存心が強い、あてにならない人と判断していいと思う。
まともな人は、総合的に信頼できる人かどうかを判断する。学歴や職歴、業績はその一つの材料に過ぎない。
2.
知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。(1コリント1・20)
聖書に頼らず学問や、世俗の権威によりかかっているのは、愚か者。
なぜならば、「神は、この世の知恵を愚かなものにされた」から。
「いま、学会では、宇宙は自律的に誕生したということになっているんですよ」とか「学会では、恐竜と人間が共存した時代はないことになっている」とか。。。
学会を聖書の上に置いている人は「愚かなもの」なのである。
神がそういう人をあえて愚か者として扱われる。
神の存在を否定するホーキングは、キリスト教式で結婚式を挙げた。
完全に神様にバカにされている。
「聖書なんてまもなく消え失せる」といったある啓蒙主義者の家は、聖書協会の倉庫になった。
神はこういう復讐をされる。
3.
すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。(1ヨハネ2・16)
学歴や肩書へのこだわりは「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢」に属する。
だから、こういうことにこだわっているような人は、「御父から出たものではなく、この世から出たもの」である。
神の民ではなく、世の民、つまり、悪魔の民である。
上流階級になるとこういう悪魔の民がわんさかいるのだろう。
われわれ庶民とはレベルの異なる自慢話や意地の張り合いに満ちているのだろう。
金を持っていても、聖書によって戒められなければ、悪魔の集団になる。
へりくだって貧しい者とともにいるのは、高ぶる者とともにいて、分捕り物を分けるのにまさる。(箴言16・19)
増税をして、裏金を作って、ぜいたくに飲み食いする官僚や、関連会社に天下りして、組織を転々とするたびに何千万の退職金を手にする元官僚よりも、貧しい人と謙遜に暮らす庶民のほうが幸せだと。
じゃあ、何のための受験勉強だったの?
悪魔の集団に入って、不幸になるため?
こういう選択をする人を究極の愚か者という。
(*)
たとえば、
He sat on a chair with his legs crossed.
この場合、with以下は、He sat on a chairに付帯する状況を示す。
意味的にhis legsはcrossedの主語。
主語his legsと述語crossedの間には受動関係があるから、crossは過去分詞にする。
これは、高校時代にやったはず。
(**)
地震に関する翻訳で、aseismic building(耐震性の建物)という言葉に訂正を入れ、冠詞のaとseismic(地震性の)に分離しろと指導してきた人もいた。