ミレニアムの活動の歴史的意味


私がこの世界に生を受けた目的は、世界の構造を聖書から明らかにすることである。

どうやら、そのほかの目的はないようだ。

ほかのことをしても空しさしか感じない。

会社で働いたことがあるが、仕事自体は面白いが、空しい。

今の状況において、世界の仕組みを聖書的に理解すること以外の一切が無駄に思える。

かつては社交的で毎日大学のサークルに出入りし、時間があると誰か待ち合わせて、ファミレスなどで会ってだべっていた。

だから、今のように時間があれば本を読んだり書き物をしたり、研究をするような生活になるとは当時想像できなかった。

この仕事は、歴史的に有意義である。

他の圧倒的大多数の人は評価しないだろうが、私はわかっている。

なぜ歴史的に有意義なのか。

「まだ誰もやっていないことだから」。

まず、歴史的に見て、セオノミーが確立したのがヴァン・ティルからである。

ヴァン・ティル以前、セオノミーの考えはあいまいであった。

だから、ノンクリスチャン的思考が入り込む隙があり、教会がそれによって乱された。

セオノミーとは、「万物は神によって創造されたので、聖書啓示を最高権威としなければならない」というものである。

現在、われわれの住む世界を解釈しているのはヒューマニズムである。

そのもととなったのがカント主義。

カントは、「この世界は人間が勝手に解釈してもいいんだ。人間は創造者ではないから本来その資格はないが、しかし、われわれはあえて資格があると断定し、そこから出発する」と宣言した。

ヒューマニズムとは、人間理性至上主義である。

神であれ、聖書であれ、死後の世界であれ、あらゆるものは、人間の理性によるチェックを受けなければならないとする。

最終審判者を人間にする思想である。

これは、ヴァン・ティルのセオノミーの対照的存在である。

つまり、セオノミーとヒューマニズムは、次の一点を巡って争っている対立する立場である。


最終権威は、神なのか、それとも、人間なのか。

それゆえ、今の大学では、神の啓示などほったらかしにして、人間がどう世界を解釈するかを追求している。

だから、今の大学において教職につくことにほとんど意味を感じないのである。

もちろん、iPS細胞など科学技術の世界は、日進月歩であり、それらを評価しないわけではない。

しかし、私の関心は、個別科学というより、システム全体を支える土台の再構築にある。

この世界を神の被造物として見、そのようなものとして、システムを作り直すことこそ私の関心である。

そこで、私は、契約の五条件という構造が重要だと思うのである。

この世界は、創造時に、神と契約を結んでいる。

アダムを代表者とする被造世界全体が神と契約を結んだ。

従えば永遠の命が、逆らえば永遠の呪いが。

宗主契約を結んだので、服従は被造物にとって必須条件である。

アダムは失敗者になり、そのため被造世界を虚無の中に放り込んだ。

キリストが第2のアダムとして成功をおさめ、それによって、被造世界を永遠の栄光の中に引きいれた。

今の世界は、法的に永遠の栄光の中に入った世界である。

しかし、法的な事実は、実践と戦いによって実際の栄光の中に入る。

クリスチャンへのイエスの大宣教命令とは、バプテスマと教育を通じて世界を虚無から解放し、実際の栄光の中に入れることを意味する。

バプテスマとは、契約の中に入る儀式である。

教育とは、ノンクリスチャンの虚無的教育ではなく、「わたしが命令したことを守るように教えること」である。

だから、教育の基本は「イエスの命令を守らせる」ことにある。

バプテスマを受けて救いの契約の中に入り、永遠の生命を与えられた人々(クリスチャン)が、イエスの命令を守ることによって、世界は徐々にキリストの王国に変わる。

これだけが本当の教育であり、学校がこれを行っていなければ実質を失ったセミの抜け殻のようなものでしかない。

この世界の歴史は、契約民が伝道において勝利し、非契約民の数を減らしていく過程である。

イエス・キリストが王なので、このことが実現する。

日本についても、単なる従来の伝道のように「アメリカ様、異教国日本を支配してくださってありがとうございます。」ではなく、日本の歴史から掘り起して、民族のアイデンティティを確立することを目指す。

アメリカはむしろフリーメイソン・イルミナティの国、悪魔崇拝者薔薇十字団の祖フランシス・ベーコンが理想とした新アトランティスであり、本来、クリスチャンとは相容れぬ国である。

アメリカの福音派は、フリーメイソンの影響を強く受けており、その間違った教えから解放されている教会はほぼゼロである。

私は、「はじめにアメリカの教会ありき」の今の福音派では、日本も同じように道連れにされて滅びると考える。

聖書から、土台の土台から考えて、神学を作り直す必要があると考える。

もちろん、宗教改革の伝統と歴史的業績を無視するわけではない。

むしろ、それを貴ぶがゆえに、ヴァン・ティルに立つのである。

正直言うが、ミレニアムしか、その働きをしている団体は、日本で皆無である。また、世界でも珍しい。

ゲイリー・ノースが先輩だが、日本の歴史を知らないので、究極的な使命を与えられている日本と言う国を扱えないがゆえに弱い。

だから、ミレニアムだけが歴史的にもっとも有意義な活動をしているといっても過言ではないだろう。

歴史的キリスト教に立ち、聖書信仰を絶対的原理として、世界の構造、思想、歴史観などすべてを聖書によって批判し、新しいものの見方を構築しつつあるわれわれにご支援をよろしくお願い申し上げます。

 

 

2012年11月23日



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