「韓国への愛はないのか」という人へ
自分の体を害する細菌を愛して、それがついている食べ物をどんどん食べたらどうなりますか。
日本人は民族差別とか人種差別を嫌う。
私も嫌いだ。
しかし、自分の国を侵害しようとしている民族にまで愛を示すことは、自分の国を憎み、自分が守るべき家族や無辜の人々を憎むことに等しい。
じゃあ、「自分の敵を愛せ」というイエスの命令は何か。
これは、「敵が更生し、まともな人間になるように働きかける」という意味である。
「侵略する心を持っている敵をそのまま受け入れる」という意味ではない。
それは、かえって相手を腐らせることになる。
万引きを働く子供を、何もしないでそのまま甘やかすことは、愛ではなくて、その子を憎むことである。
「むちを控える者はその子を憎む者である。子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる。」(箴言13・24)
悪に傾く心を矯正することが愛だ。
韓国人が、今対馬で何をしているか。竹島をどうしているか。米国で慰安婦像を建てて何をしているか。
中国人が、今日本に工作員を送って何をしているか。尖閣周辺で何をしているか。
本当に韓国人や中国人を愛するならば、強制力を行使してその邪悪な侵略を防ぐことである。
正義のない愛は愛ではない。
力のない正義は正義ではない。
だから、力を行使して、相手の横暴を防ぐのは愛である。
神はわれわれの体に免疫のシステムを与えられた。
だから、防衛は罪ではない。
相手が核を保有して脅迫するならば、こちらも核を持たねばならない。
防衛できないような軍備しかなければ、相手に侵略の誘惑を与えているようなものだ。
防衛費を増やすと騒ぎ、核を保有しようというと殺人鬼扱いする人々は、本当のところ、愛国心などまったくない。
正義漢ぶっているだけだ。こんな人々に騙されてはならない。
2015年2月18日
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