実質が伴っている教えが最終的に勝利する
田中真紀子のアジテーションも効果があったのは先の選挙まで。
今後は通用しないだろう。
民主党になって、朝鮮学校無償化のために働いた時点でこの人のスタンスが判ってしまった。
日本社会の土台がしっかりしている間は、アジテーションでも半分笑いながら聞いていられたが、尖閣、竹島、北方領土、民主党、311など、日本の土台を揺るがす事件が立て続けに起きた今、冗談半分で政治をやっている無内容な人間のジョークに付きあう気持ちはない。
自民がものすごい強固で、ゆるぎない基盤を作っていたことは、左翼の言説も一服の清涼剤として効果がある程度あったが、今は、日本を破壊する邪悪な霊の活動としてしか見れない。
私が求めるのは実質である。
虚飾を排して、実際に効果が見えるもの。
だからといって、短期的な効果だけが有効というわけではない。
いわゆるクリスチャンの再建主義批判に多いのは、教理に関する批判というよりも、「そんなのは時代的に人気を得られるとは思わない」とか「米国の神学校ではどう評価されているのか」とか「支持者はどれくらいか」みたいなものだ。
聖書の教えは、映画とか小説の評判と違うのだ。
人気なんてどうでもいい。
教会成長学がはびこるようになってから、神学までもが人気で評価されるようになった。
「どれだけ人を集められるか」が基準だからだ。
人が何人集まるかはまったく関係ない。
なぜならば、神が少し何かをされれば、何十万人という人を一瞬で集めることができるだろうから。
神には、日本を一晩でクリスチャンの国にすることがおできになる。
人を集められるかどうかはわれわれの仕事ではない。
神はすでに永遠の昔に、世界の歴史の過程をすべて決定されたのだ。
そして、全世界がキリストの弟子となることはあらかじめ決まっている。
そのスピードがどのくらいであるかは神のご一存である。われわれの心配する課題ではない。
われわれが心配すべきは、どれだけ聖書的であるかだ。
この世界が神によって支配されている以上、実質的なものが最終的に勝利する。
だから、できるだけ聖書的であろうとするグループが最終的に勝利することはすでに決まっている。
人集めのテクニックなど磨く必要はまったくない。
2012年12月23日
ホーム