神の国の秩序を乱すほどの忍耐は罪である
ここで何度も言ってきたことだが、問題に最後まで取り組もうとする責任感は邪悪な責任感である。
われわれは、自分の能力の限りをつくしたら、後は神にゆだねて休まねばならない。
この命令を守らない人は、精神をやられる。
やるべきことをやったら「ぶん投げる」のである。
モンスター顧客がいれば、こちらが誠意を尽くしても、それでもやってくるならば、警察を呼ぶなり、弁護士に一任するなりして、こちらはそのモンスター顧客から離れるのである。
営業妨害でひっぱっていってもらうのである。
電話なり訪問なりしてきたら、警察や弁護士を呼ぶ。
そういう区切りをきちんとつける努力をしないで、いつまでも「わがままな人間」に付き合うならば、こちらの精神がだめになる。
また、上司や会社が警察も弁護士も利用せずにそのモンスター顧客の相手を自分にさせるならば、病気でもなんでも理由をつけて休暇を取ったり退職する。
自分の精神を犠牲にするほど仕事は大切ではない。
イエスはどこまでも罪人を説得せよと言われただろうか。
もしだれも、あなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家またはその町を出て行くときに、あなたがたの足のちりを払い落としなさい。(マタイ10・14)
かたくなで、逆らう子がおり、父の言うことも、母の言うことも聞かず、父母に懲らしめられても、父母に従わないときは、
その父と母は、彼を捕らえ、町の門にいる町の長老たちのところへその子を連れて行き、
町の長老たちに、「私たちのこの息子は、かたくなで、逆らいます。私たちの言うことを聞きません。放蕩して、大酒飲みです」と言いなさい。
町の人はみな、彼を石で打ちなさい。彼は死ななければならない。あなたがたのうちから悪を除き去りなさい。イスラエルがみな、聞いて恐れるために。(申命記21・18-21)
2016年8月10日
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