正義に立つ人がこうむった敗北は敗北ではない


喧嘩にはやり方がある。

まず、和解を求める。

再三の勧告にも関わらず拒否されたら、喧嘩する。

全力を尽くして戦ったら、勝敗を神にゆだねる。

勝っても負けても運命を受け入れる。

自分が聖書的で正しい場合、勝っても負けても勝ったのである。

神の国には負けるということがない。

それは一時的に敵が支配する時間が与えられたということで、負けたことにはならない。

それで絶望する必要もないし、悔しがる必要もない。

悪魔側が勝利しても、それは悪魔側にとって敗北である。

神の計画の中で利用されているからである。

悪魔側に立つ人は、どんなに勝利し、領土を得て、金銭を得て、戦利品を獲ても、それがすべて最終的に自分を破壊することになる。

逆に、神の側に立つ人は、どんなに敗北し、領土を取られ、金銭を失って、戦利品を獲られても、それはすべて最終的に自分の利益になる。


神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8・28)

何もかも神が利益にしてくださる。

だから、最終的には勝利するのである。

しかし、全力を尽くさない場合には、その利益は減る。

全力で戦わないで負けた場合には、「怠惰で負けた」という自分の側の罪があるので、神の報いは減る。

今の日本において、共産主義者中国の攻撃がある。

文化侵略、領土侵略、政治家・経済人・マスコミ工作などいろんな工作活動をしている。

このような活動に対して「どうせ勝つのだから」とふんぞり返るならば、自分の義務を果たしていないので、責任は自分にかかってくる。

その分については、われわれは不利をこうむる。

しかし、こちら側では、全力を尽くして戦うならば、神は味方してくださり力を与えてくださり、勝つ可能性が高まる。

奇跡が起きやすくなる。

だが、何もしなければ奇跡も起きないし、だらだらと負けて、侵略される。

気づいたときには、周りが中国人だらけになり、いつの間にか主権を奪われて奴隷にされている。

われわれに知恵と力が与えられているということは、最善の努力をせよということである。

その「やるべきこと」をやらないで、負けましたというのは、恥でしかない。

全力を尽くして負けた場合、負けても努力したものはすべて返ってくる。

だから、日米戦争において負けても最終的に日本はアジアアフリカの植民地を解放し、世界一の対外資産を持つ国になり勝利した。

逆に米国は破滅の危機に瀕している。

悪魔側に立つ者は、必ず敗北する。

殉教者は必ず勝つ。

殺して一件落着の気持ちになっている迫害者は、じきに自分が致命的な打撃を受けたことに気づく。

殉教者が流した血は、そこで確実に神の国の拡大という実を結ぶ。

私は、自分がくぐってきた迫害について、当初はショックだったが、今は結局こちら側が勝利していると思っている。

教会の牧師が聖人で、神の側についているならいいが、そうではない場合たぶんにある。

そこでひどい体験をしても、それは、一時的なもので、いずれ結果が出る。

嘘八百並べられて社会的にひどい評価がついて回ったとしても、それは全部逆転する。

(ただし、こちら側が聖書に立っている場合のみだが。)

イエスは、打倒ローマをスローガンに集まる愛国者たちに対して「武力闘争をやめろ」と言われた。

「右の頬を打たれたら、左を差しだせ」というのは、侵略された場合の武装抵抗運動の禁止の教えであって、侵略される前の防衛義務の放棄を唱えている言葉ではない。

イスラエルがローマに支配されたのは、契約違反が原因だったので、まず契約を守ることを訴えられた。

契約違反をそのままにして武力で権力を奪還するのは、神の方法ではない。

そういう文脈で述べられた言葉である。

それを「侵略者に対して抵抗するな」という意味ととらえるならば、防衛が悪ということになり、なぜ旧約のイスラエルに武装軍隊があったのか説明できなくなる。

私は自分の体験から、めちゃくちゃなことを自分に対して行った団体が死滅したのを何度も見てきた。

クリスチャンは、悪魔の攻撃対象になることがある。

イエスの小さい版の体験をさせられる。

明らかに悪魔的な攻撃を受けることがある。

もちろん自分の主張すべきことは主張する。

しかし、それでもむちゃくちゃな仕打ちをするならば、それは、その相手が絶滅する前兆なのである。

われわれを十字架につけた側は、確実に滅びる。

イエスを殺した側が、40年後に滅んだように。

紀元70年にユダヤは滅び、教会は確立した。

イエスの群れはその後、ヨーロッパを征服する。

そして、世界はキリスト教文明によって支配された。

今は、一時的にイルミナティの古代異教文明が世界支配をもくろんでいるが、挫折する。

神の国がそのまま負けるはずがない。

世界の歴史は予定されているのである。

神の国側に立つ者が必ず勝利する。

正義が勝つことを信じる者が必ず勝利する。

神が世界を支配しておられるので、確実に予測できる。

正義に立つ人がこうむった敗北は敗北ではないということを認識していただきたい。

 

 

2014年12月22日



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